ブックレビュー 遠藤周作


真昼の悪魔


(★★★☆☆ 星3つ)
下記の『沈黙』や『海と毒薬』に比べると、かなり俗っぽい。心の乾き(渇望ではなく『干からびた』無関心)を理由に残酷をやってのける女医と、それを追う入院患者、対峙しようとする神父が病院の闇を探るサスペンス風。

女医は、ドストエフスキーの『罪と罰』を愛読書とし、しかしその生ぬるさに不満を感じ、究極の悪を探る。そしてその悪を実行することで自分の心の乾きに某かの変化があるのではないかと期待する。カミユの『異邦人』も引き合いに出されるが、いやらしい悪、神をも畏れぬ悪、無信心の悪に心酔しようとする様を読んで連想するのは、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』である。

しかし、これは昭和の香り漂う日本のサスペンス小説。舞台は日本の病院であり、主人公は結核患者、そして物語を引っ張るのは勤務医の女医。『悪徳の栄え』の荘厳なゴシック・ダークネスとあけすけな肉欲の狂宴に見るスケール感は望むべくもない。これは現代日本に生きる者の軽薄文化の中で自分を模索しようともがく姿と捉えればいいのかもしれないが、今まで読んだ遠藤周作の崇高なまでの善悪感に関する考察と宗教との絡み合いに比較すると、物足りなさを感じる。

そんな中にも、含蓄深い言葉はある。例えば女医の、大義名分を掲げた所業について、神父が諭す言葉。結果が善であればよいということはない。間違いの行為には愛がない、という意味のことを言うのだが、この辺りは、どんな宗教を持っていようとも、あるいは宗教を持っていようがいなかろうが、失ってはならない普遍価値を提供する言葉で、さすがに遠藤周作だなと思わせる。

結局、時代が進むに連れて、闇は虚無に取って代わり、生きる世界は平坦化してくるとともに小さくなり、その小さな世界の中での展開を我々は望むしかないのだろうか、と、現代世界が開けてきたことの代償としてのつまらなさを、この小説によって突きつけられたようだ。この小説刊行は昭和55年。軽薄とされる若者は、インテリを気取って知識をひけらかす者として描かれているが、それから更に時代が進んでしまった今、そんな知識さえなく、ただバーチャルゲームに気力を吸い取られている若者が大半の世の中となった。なおさら世界の奥深さはなくなってきてしまっているに違いなく、本に対する虚しさではなく、この社会に対する虚しさを、読んで感じることとなった。(2016/12/12 記)

沈黙


(★★★★★ 星5つ)

日本で鎖国政策に伴なうキリスト教弾圧が行われた17世紀に生きた、ポルトガル人宣教師の物語。書くための入念な下調べと考察が、さぞや労力を要したことだろうと思われる。

ストーリーはすべて暗澹たる予想どおり、意外さを含まずに一気に流れる。拷問や、棄教しなかった者に科される果ての死罪は、ダークな物事に期待を持って好奇心からのみこれを読み始めた人間にも、たっぷりその内幕を見せてくれ、卑俗な期待を満足させてくれるが、人間の心理の変化、ミッションを抱いた者の葛藤などは、これぞ筆致を尽くしたといった構成で、筆の力の発揮されたところは、もちろんそちらの方。

そして取りも直さず、キリスト教を信じきって、あまつさえ人に布教せしめようと遥々海をわたって来日したパードレが直面する、神の、長く、頑なな沈黙に対する悶々たる切迫した疑念が読みどころ。
それは、キリスト教に対して、キリスト教徒であろうとなかろうと抱く「神は本当に存在するのか?」という疑問ではあるが、信仰に身を委ね、自己村立の絶対の根幹を成すことに対しての疑問であるがゆえに、「存在するのか?」という存否としては描かれず、「なぜ沈黙しているのか」という形で描かれている。自分の存立・信念・信心を同じくする者に対する愛が、揺さぶられ続ける時の危うさは、人の内心にあるが故に描くには困難を伴なうだろうに、遠藤は見事にそれを描ききっている。

それにしても、非キリスト教信者であり、信じる宗教のない自分が読みながら常に疑問に思ったのは、何故人は酸鼻極まる弾圧に抗してまで宗教を捨てなかったのか、ということ。「転ぶ」(棄教する)者があるのは分かるというか、弾圧があれば無理からぬところもあろうと思うが、話中では弾圧者から「形だけそうすればよい、内心には踏み込まない」と繰り返し説得されるにも関わらず、転ばない者の意志を支える宗教とは何なのか、こればかりは信心を持たない自分には分からなかった。

本作は、1971年に一度映画化されているらしい。観たことがないが、時代考証のしっかりした名作とのこと。2016年にマーティン・スコセッシ監督により再度映画化されたが、この映画も素晴らしかった。

それにしても、ここまで人の心の揺れ動きや、社会を俯瞰する視点の客観性や、宗教を掘り下げる洞察力といったものを併せて小説に落とし込む遠藤恐るべし、である。こんな小説を書ける作家が、現代に何人あろうか。

深い河


(★★★★★ 星5つ)

↓の『海と毒薬』は、キリスト教の倫理観が下敷きになっていたが、本作ではそれに加えて神の信仰とは何か、否、神とは何かについて、広い視野を持って捉えて書かれている。 本作は大胆にも、輪廻転生を信じ、仏教の聖地ヴァラナシを終着の舞台に選びながら、どこにも存在し得る神という普遍を考えさせる。

しかし本作は、宗教臭いとかお説教くさいことでは一切ない。この本の重みや読んで得られる果実は、人間が生きていくうえで抱えてゆくこと・抱えざるを得なかったことを携えてゆく重さ、不条理さ、願ったとおりに勧善懲悪とはいかない現実の世の中の重み、そういった人間の生を、複数の人間の人生を描き出すことで読者に考えさせることにある。軽々しくお手軽に「スキル」などというものを「身につけて」世の中を渡っていこうとする風潮がある現代で、空洞化してしまった人間の中身、本当のあり方を、こういう本を読むことを通じて取り戻す人が増えてくれればいいと思う。

海と毒薬


(★★★★★ 星5つ)

第2次大戦中に起こった九州大学生体解剖事件を題材にしているだけに、緊迫感漂う解剖の様子はあるのだが、作者の視点はその凄惨な事件を引き起こした者達もまた人間であり、隣人であるところにあるため、露悪趣味に陥ることなく、文学作品としてふさわしい品位をもって作品が仕上げられている。
本作は、淡々とした冷徹な文章で、素材として捉えている事件や時代背景からは一定の距離を置いている。空襲に遭う街の様子を遠く眺めている描写も、そんな作者と素材との距離感に通じるものがある。しかし、人間のあり方への切り込み方は、解剖メスもかくやという切れ味を見せ、鮮やかで深い。

また、1つの大きな主題であるキリスト教に根ざした倫理観が、窮極の事態にある人間の矜持に対して与える影響を描き出す様が、何とも印象深い。大岡昇平の『野火』もそうなのだが、有名なゴスペルソング”His Eye Is On The Sparrow”にも歌われる目の存在とでも言おうか。また、本作の題材になった実事件では、解剖実習室の管理者平光教授は息子をレイテ島の闘いで失っているという。これも大岡昇平を想起させる。大岡昇平の『野火』と併せて読みたい。