ブックレビュー『最後の晩餐』


開高 健(著)


(★★★★★ 星5つ)

開高健は昔から何となく気になってはいたものの、読んでいなくて、今回手を伸ばしたのは、旅行に出かける時に携行する本を探していて、旅行中は贅沢三昧することが分かっていたので、食通随想文は好適かと思い。折しも今年2010年は開高健生誕80周年で、某クレジットカード会社の会員誌には、大々的に特集が組まれていた。開高健というと、「釣好きで食ってばっかりいる趣味人」という印象だったのだが、その印象はこの本を読んでもあまり変わらないにせよ、認識が変わったことが2つばかりある。

それは、食うのが生半可じゃないということ。ともかく、何でも、食っている。鬼気迫るほどのレベルで。そして、物を食うときに、食うことに意識を集中させている。その結果、味覚は彼の脳に格納されている知識や感覚を呼び起こすトリガーとなり、食うことが契機となって、文章がほとばしり出てきたりする。食うことが生物学的に生きる源となるのみならず、社会的・人間的に生きることの源ともなっているのだ。ただただ欲に任せて食っているぐうたらデブなんかではないな、と認識新た。

もう1つは、本業の確かさ。この食通随想は、グルメ評論家気取りで書かれているのではない。文章を人様にお見せするのに恥じないレベルにまで、熟慮に熟慮を重ねて書かれている。文章は時に、料理人が「どうだ、俺の料理が分かるか」と入魂の一品を人智を尽くして出してくるように、挑みかかるようで、奥深い知識に裏打ちされている。文体は飄々と書かれているけれど、与し易しと思ったら大間違いだ。スイスイスムーズな飲み口だと思って杯を空けていたら、どっぷり呑まれてしまうくらいだ。また、ただ1語書くだけのために、大変な労力をかけて調べ物をし、裏を取ってからすっと書いてあって、その努力の真摯さにも、文章家としての威厳を感じる。威厳とは、威張り散らすことではなくて、中身のつまった実体に伴う説得力である。開高健には、それがある。

かつて日本にはすごい作家がいたものだなあ、と打ちのめされた1冊。