付き合い遍歴 その13 相互侵略


実は、関係が破綻しかけていた時、俺は知られざるインモラルな行動を取っていた。健二郎に対しての密かな復讐として。

当時、これまでの遍歴で書いたように、俺はゴーゴーとして認知されていて、パレードでフロートにも乗れば大きなクラブイベントにも出ていて、いやらしい言い方でいえばプレゼンスとしてはゲイヒエラルキーのトップにいた。ゲイヒエラルキーなどというものがあるとすれば、だが。そんな俺を恋愛でないがしろに扱うなど許せない。俺が行動を起こすとどうなるか見てろ、という気持ちがあった。男をモノにするには俺がその気になりさえすればいい、そんな俺がその気を起こせばどうなるか。

健二郎とのメールや電話も疎かになりがちな、最後のひと月ほどの間、俺はセフレを作って毎週末その男の部屋に泊まりに行っていた。来たり来なかったりする健二郎からの連絡を適当にあしらいながら、その男と一緒にベッドに寝そべって海外コメディーのビデオを観、酒を飲み、セックスしていた。
その男の部屋にいる時に健二郎から電話がかかってきた時もある。最早会話を続けるための話題を作るにも苦労し、意味のないやり取りをしながら、俺は下着一枚で、その男のベッドにいた。男は、愛らしい顔と、それに似合わない雄の姿態を持ち、淫蕩な行為に耽るに好適な存在だった。R&B好きで音楽の趣味も合った。関係を持ち、男の部屋でToni BraxtonやDeborah Coxを聴きながら、「ほら、俺をないがしろにすると、すぐこんなことになる」と一人ほくそ笑んだ。Whitney Houstonの歌の一節”Now you are the last thing on my mind”が思い浮かぶ。

泊まりに行かない平日は気が向くと屋外ハッテン場に出かけていき、適当にセックスを楽しんだ。家からすぐの場所に、そういう公園があった。手持ち無沙汰とフラストレーションの解消にはいい手段だった。好みの男にアプローチすれば必ずやれた。やらなかったのは、その場に好みの男がいなかった時だけだ。

それより前、健二郎が東京で行っていた大学の後輩の家に泊まりに行ったこともある。その男もゲイだ。今ひとつドンピシャのタイプではなくてセックスには及ばなかったのだが、俺が手を出せば向こうが応じただろうことは明白だった。2つ並んだ布団の敷かれた部屋で、灯りを消して横になった時の、その後輩の期待感と緊張感が漂う部屋の空気を覚えている。その空気を感じることができれば、実際事に及ばなくても、健二郎への復讐としては充分だった。「お前を表で慕う後輩とはこういう関係なんだぜ」という実質勝利の確証を得られれば、それで。

それらの行為が健二郎の耳に届けば届いたで構わないという意識もどこかであった。しかし、そこは遠距離、かつ今のXのような即時性のあるSNS等でネットワークが張り巡らされてはいない状況で、話が漏れることはなく、また俺はそれらのことについて他言もしていなかったので、俺の密かな復讐は俺の中だけに留まった。

健二郎は自称するところの「寂しがり屋の一人好き」だった。気分次第でそれまで手にした物を全て呆気なく手放し、どこか他の所へ飛んでゆく空気が、いつも漂っていた。将来を見通せないそんな健二郎の性質をあらためて思った時、この爛れた関係を終わりにするのは自分にとって賢明な選択だと、俺は思った。最早健二郎から「続けられない」と言われるまでもなく、ハングオンする価値はない。そこでハングアップした。自分の付き合い遍歴を通じて、ここまで意地と策略でできた付き合いは、後にも先にもなかった。

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