付き合い遍歴 その13 相互侵略


健二郎は、一筋縄では行かない人物だった。俺の能力を試す何某かを、きっかけを見つけては仕掛けてくる傾向が感じられた。

例えば、健二郎は音楽を嗜んでいたが、ハーモナイゼーションの話を急にしだす。俺は幼少期から高校卒業時までピアノを弾いていて、当時は対位法や和声法も齧っている位だったのでその話に対応できたのだが、そうなると健二郎は話を続けながらも自分の優位を保てないのがどこか面白くないといった空気になった。

別の具体的ケースを挙げる。健二郎の携帯に電話がかかってきた時のことだ。健次郎のアメリカの友人で、今度日本に来ると言う。俺にとっては接点もなければ特段興味も湧かない電話の相手だったが、突然、健二郎は俺に電話を替わり、話せと言う。俺は社交辞令的なやり取りを数分して、また電話を健二郎に返した。
健二郎にしてみれば、聞き取りにくい音質の電話越しでの英語にしどろもどろになる俺を予想していたのだろうが、俺が普通に話すものだから、面白くなかったのだろう。電話を切ると、「それだけ話せれば充分じゃない?」と俺を評した。特に俺が自分の英語についてどうだったかと健二郎に尋ねた覚えはないが、そう言ったので、そういう目的で電話に出させたのだなと知った。
俺は海外にはそれまでせいぜい旅行で1ヶ月ほど行ったのが最長で、本格滞在したことはないが、中高時代にアメリカ口語を教える日系アメリカ人の私塾に通い、英語は元々比較的得意で、これまでの仕事で時々英語を使うこともあったし、先に挙げた転職先の外資の職場でももちろん英語を使っていた。

底意地が悪いともいえる健二郎の言動は続く。この電話の一件を持ち出して健二郎は共通の知り合いに「この人、英語普通にしゃべるねんで。外国に住んだこともないくせに!」と言った。それは、自分の敗北を示す冗談口調ではあっても、どこに力点があるかといえば後半の文章で、実のところ俺への攻撃だった。しかも友達のいる場では喧嘩になりようのない状況を利用して俺の反論を抑止したうえでの物言いだった。

俺の持つ資質や事物について、冗談を装いながらも攻撃的な、あるいは劣等感を催させようとする言葉をぶつけてくることは、他でもたびたびあった。俺が使っていたパスタ鍋を指して「僕でさえ持ってへんのに生意気な」とか。あるいは、俺が仕事での出来事を話すと「僕が社会人やった頃には◯◯はなくて不便で云々」と、自分のキャリア時代を時代遅れとして卑下しつつ先達としてアピールするのを忘れないとか。

一つひとつは大したことがなく、問題視すると「それくらいのことで目くじら立てるほどのことでもなし」と一蹴されるようなことだが、それを積み重ねて自分の優位を築こうとする意図が看て取れた。今で言うなら立派にモラルハザードだ。その積み重なりは俺の精神的キャパシティという名のコップに溜まる受容の限界水面を徐々に上げてきていた。

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