付き合い遍歴 その14 隙間家具扱い


この付き合い遍歴エピソードを仮名で書くことに決めて良かったと思う。このエピソードの人物の本名を思い出すほどに、憎らしさが鮮明に蘇ってくるからだ。

優太との出会いのきっかけは忘れた。記憶能力と経った年数の問題で忘却した他のケースとは違い、記憶に残しているのが嫌だったのだろう。しかし、きっかけに関しては脳が積極的に消去することに奏功したが、次に記すエピソードは逆に「この怒り忘れまじ」と脳が焼き付けたのだろう、覚えている。

当時の俺の部屋は中野区にあり、優太の部屋は新宿区にあったが、自転車で行き来できる位の距離だった。優太は当時そこに越したばかりで、ガランとした新居の設営のため、買い物を手伝ったりした。足りていない物の中には、俺が新しく物を買い、それを置いて二人で使い始めた物もあった。しかし数ヶ月もしないうちに、優太と過ごす時間は少なくなった。仕事が優太の言い訳だった。

優太は、とある物品の輸入業を元彼とやっていた。仕事ばかりでなく、ことあるごとにその元彼と私的に行き来し、仕事ではない元彼との予定を俺に優先させることもたびたびだった。「家族のようなものだからその関係を認めてほしい」と優太は言った。

俺と優太が会うスケジュールは優太からオファーされ、その時間に俺が優太の部屋に行く形で過ごした。

ある日、優太の友人宅で開くパーティーに誘われて一緒に行った。輸入業に関連する国に縁のある人達の集まりだという。普通、パーティーに連れていく時は、人と人とを紹介して、話や場を取り持ち、コーディネートをするものだと俺は思っていた。
が、優太の振る舞いは違った。周りの人間に俺をパートナーとしても紹介はしなかった。俺は俺なりに社交性を発揮して初対面の人達と話をし、しばらくその場にいたが、パーティーメンバーはそれぞれが以前からの知り合いで、仲間内で盛り上がるばかり。俺はぽつねんとする中、優太はというと、俺と離れた場所でやはり内輪受けの話に興じていて、俺をケアする気配は微塵もない。
何故このような一顧だにされず敬意を欠いた扱いを受けねばならないのか。腹が立ってきて、先に帰った。一緒に来た俺が会話もなく帰るのを見かけたら、普通はどうしたのかとその時点で声をかけて機嫌を損ねたのかと尋ねるだろうが、優太に関してはそういう推し測りは一切なかった。

ある日、問題が起こった。ここに書くのも恥ずかしいが、優太から毛ジラミをうつされたのだ。それまで俺は、性的に奔放な行動を取っていた時も、病気に関しては感染しないよう、常に注意を払っていた。急性のAIDS脳症で死んだ護の体験もあって、それ以降はより一層注意していたが、まさか付き合っている相手からそんなものをもらうとは、思ってもみなかった。そしてそれは、優太の他での性交渉を意味していた。感染を告げても悪びれる様子もなかった。俺がSTDに感染したのは、後にも先にもこれ一度きりだ。

元彼との関係は私的に続ける。俺と会うスケジュールは自分優先。出先では空気扱い。おまけに毛ジラミ。怒り心頭だった。こんな侮辱を受ける覚えはない。そしてこの先そうされ続ける気も、もちろんない。自分のプランは全て組み立ててあって、俺は空いたところに当てはめるだけの便利な存在? 冗談じゃない、隙間家具じゃあるまいし。

俺は思うところを書いたメールを送った。別れるのでそっちの部屋にある俺の所有物を◯曜日の◯時に俺の部屋に持って来い、今までスケジューリングについてはそっちのわがままを優先してきたが、この件に関しては日時譲歩は一切しない、と。

指定の日時に優太は自分の部屋に残っていた俺の物を携えて俺の部屋に来た。俺は玄関先に出て、ひったくるようにそれを取り戻すと、「てめえいい加減にしろよ」と最後の一言を最大限の怒りを込めて優太に放ち、門扉を閉めた。玄関ドアが奥にあって、通路に面する門扉がある家の作りでよかった。そんな奴に自分のテリトリーの様子など、見られるのも嫌だからだ。殴ってやってもいいほどだったが、思いとどまったその時の自分を褒めてやりたい。付き合った相手とは過去数限りなく衝突や喧嘩をしたが、相手を殴りつけたいと思ったのは、これ一度きりだ。

これは、2000年代後半の出来事だ。優太のその後の去就は詳しくは知らないし、知りたくもなかったが、後、2010年代になって、SNSで偶然見かけた。あれほど家族と言い張っていた元彼とではなく、北欧に別のパートナーを見つけて移住している旨のプロフィールが書いてあった。家族も同然の存在の人はどうしたのかねえ、と皮肉が浮かぶ。ブロックして、しばらくしてまた見に行くと、向こうからもブロックされていた。

優太は、現在に至るまでの付き合い遍歴の中で最悪の人物だ。

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