付き合い遍歴 その13 相互侵略


モラルハザードに留まらず、物理的な出来事もあった。とある皇族についての話に及んだ時、当時その人のネットミームが流行っていたのでその事に言及したら、俺がそれを用いてその皇族を皮肉ったのではないのに、「皇族を馬鹿にするな!」と殴ってきた。殴り方も、冗談めかしつつも、充分に力の入ったものだった。

一度、確か健二郎が東京に来て会い、また戻っていった時のことだ。今となっては詳細は覚えていないが、こんなにも俺は軽んじられているのかという健二郎の言動があった。その時、やっと護の死から立ち直りつつあった俺の中で、危うしながらも保っていた心細い自尊心の系がプツっと切れた。もういいや、死のう。当時、中野駅の近くに住んでいた俺は、電車に飛び込もう、しかし本線でやると迷惑をかける人が多いから、引き込み線の電車区で実行しようと思った。

混乱の極みだった。健二郎は、実のところ細かな事例の集積でもってそうした混乱に人を追い込み傷つけるやり方をしたのだったが、本人はそれほどまでにインパクトを与えるものとは思っていなかっただろうし、実際上このきっかけだけにフォーカスすれば、そんな程度のことで死ぬことはないという事象だったのだろうと思う。

しかし、だ。コップに徐々に垂らされた水が遂に溢れる時、最後に注がれた水は、それが「コップを最後に溢れさせた」としての事実こそがレゾンデートルなのであって、量の多少や注がれた勢いの如何を問わない。自死は、募った不安や不幸、困難、ストレスといった諸要因が積み重なって閾値を超えた時、何かきっかけがありさえすれば、呆気なく実行される。信号を渡ろうとして赤に変わってしまい渡れなかっただけで、人は死ぬ。自動販売機で目当ての飲み物が売れ切れていただけで、人は死ぬのだ。

死の決意を告げると、健二郎本人は居所に戻っていたのを諦めて東京に慌てて戻ってき、この騒動は東京にいる俺の友人達にも健二郎が俺の元に戻ってくるに先んじて伝わって、彼らが俺の所に駆けつけてくれたことにより、実行せずに済んだ。友人の中には前の相手の和哉もいた。和哉は俺の救い主だ。過去の付き合いがプラスにはたらいた稀有な経験となった。

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