ブックレビュー トマス・ハリス


カリ・モーラ


(★★★★☆ 星4つ)

新作が出るなど期待していなかったトマス・ハリスだが、たまたま本屋に立ち寄ったら、これが出ているではないか。何でも、13年ぶりだとか。裏表紙のあらすじを読むまでもなく買ってきて、読んだ。

設定がまずいい。豪奢なマイアミの邸宅が主な舞台だが、そこに暗い過去を背負った主人公が邸宅の管理人として住み込みでいる。そしてその過去とは、コロンビアの革命軍少女兵士のキャリア。トマス・ハリスは主人公カリ・モーラにとびきりの外貌的魅力を与え、そこにそのダークな過去を背負わせることで、戦闘能力をも同時に備えさせた。邸宅の持ち主は麻薬王パブロ・エスコバル。実在だが、故人だ。こうした現実と、フィクションをうまく混ぜてリアリティーを出している。そして、そのエスコバル邸にある備え付けの金庫にあると目される莫大な金(カネでありキンである)を巡り、さらに汚い奴らが争い合うという展開。それだけなら話はドラッグ・ウォーに過ぎないが、さらに猟奇的趣味の闇臓器売買人が絡む。一気に、カルトでおどおどしいトマス・ハリス独自の世界が構築されるという訳だ。

もちろん、読者が期待する血生臭さはたっぷりと用意される。本を読む前から、次々人が死んでゆくのだろうなと予感するが、もちろんそれ以外にあり得ない展開。非常にリアルに想像しやすいそれらのシーンは、当然これを書いたハリスが映画化を見越しているだろう(もう唾が付いているのかもしれない)映画化ではどのように?との想像も掻き立てる。

『羊たちの沈黙』や『ハンニバル』で知的好事家に満足を与えたインテリ的要素は、今回少ない。その代わりといっては何だが、そこかしこにスペイン語が散りばめられ、中南米のエキゾチシズムが情緒を添える。

こうしたサイコスリラーでは、勧善懲悪が大前提だが、その大前提をもってして、血生臭さは拭われ、正当化されるのだと思う。いわば、ラストでは必ず溜飲を下げねばならない。『カリ・モーラ』がそれに則っていいるかは敢えてここでは言わない。ただ、これもまた続編あれかしなのか?という余地を持たせてあるのが、今どき大半のヒットスリラーが無駄に紙数を割き上下巻仕立てになっているなか、これを1冊の適切な文字量で終わらせたこととのバランスなのか、と思う。いずれにしろ、大変楽しめたが、今までの諸作にあった知的な嗜みについて少し物足りなかったのと、スプラッター要素で若干タッチが俗に振れた点で、1つ減じて星4つ。映画化されたら、必ず観ると思う。(2019/8/22 記)

ハンニバル・ライジング(上)(下)



(★★★★☆ 星4つ)



(★★★★☆ 星4つ)

ストーリーの展開自体は面白かった。舞台は複数の国をまたぐが、読んでいてフォーカスされているのは舞台描写ではなく、もちろんハンニバル・レクターなので、読んでいてさほど地理的に振り回される感じはない。どんどん話は展開していき、スピードにおいて飽きさせるところがない。スリリングな場面では登場人物の心臓と自分の心臓がシンクロするような楽しみも味わえる。

しかしお説教めいた描写が少々ダルに感じるところも。怪物がいかにして怪物になったかのクロニクルなので、その原機となるトラウマティックな出来事が「夢」として繰り返し繰り返し顕れるが、それがくどい。現実世界では、トラウマティックなエピソードはそれこそ嫌になるほど反復されるモチーフとなるが、小説ではそれは一度細密に描いたら、後は「そのこと」と簡潔にやればいいものを、と鬱陶しく思った。

その描写分をもっと割いてほしかったのがストーリーの終わり部分。中途半端で性急な終わり方は「ハンニバル」と同様。下巻を手にして読み進め、中盤を越して「もう残りこの厚みしかこの本には残されていないのにどう展開させるのか」と思ったが、やはり未消化な部分は数多く残った。物語の時系列からして、これが「レッドドラゴン」へと続いていくには、もう少し描き込みが必要だったように思う。

さて、ハンニバル・レクターシリーズにおいて、ストーリー展開以外に読者が期待することは3つ。猟奇的場面が如何に想像力の限界を超えるか、インテリジェンスに裏打ちされた洒脱な趣味が読者の知識の広範・深遠に如何に挑戦してくるか、そしてハンニバル・レクター以外にクラリス・スターリングのような人をひきつける魅力のある人物が登場するか。

まず、猟奇的場面だが、あまり想像の域を出ない。十分に悲惨で戦慄を覚える「はずの」シーンは多々登場するが、「ハンニバル」に出てくるメイスン・バージャーのような特異的独創性はない。この物語は“The Beginning”だから、と言ってしまえばそれまでだが、カニバリズムは、「羊達の沈黙」で起こった事件設定に比べれば、戦中の極限であれば起こりうるもの、という落し所にあっさり落ち着くし、「ハンニバル」で見せたイタリアでの殺人の鮮やかさの方が、殺人に至る場面の緊張感という意味でも上。舞台の異常設定としてはあっさりで、その分ストーリーを追う方に興味がいくだろう。

そして次にconnoisseurぶりだが、本作では青年にいたるまでのレクターには望むべくもないので、他の大人が担うことになる。日本人レディ・ムラサキがその重要な役なのだが、著者は日本文化をとてもよく「勉強」してこれを書いたのだな、と思うが、日本人には単に懐古的趣味にすぎると写る。知っていれば楽しめるものとしてそれらが出てくるのが、西洋人読者にとっては知の挑戦の域なのかもしれないが。せっかく複数の国の間での話なのだから、そこから象徴的「ではない」エッセンスを入れればよかったものを、と思う。
「ハンニバル」では、原著では圧倒的に描かれていたconnoisseurぶりが映画ではほとんどがカットされていて、気をそがれた。「ハンニバル・ライジング」の映画版では本作以上に削られているだろうから、本作ですでに物足りないと感じた向きのインテリにとっては、connoisseurぶりについては映画では最初から諦めておいた方がいい。

第3に、魅力的人物といえば、これはまさにレディ・ムラサキにかかっている。極度に洗練されていて、人をひきつけてやまない人物として描かれてあるが、習慣のしとやかさと行動の大胆さの対比を持った人物ではあるものの、感情の機微については「お飾りの女」になってしまっている気がする。そして古典芸能的日本趣味に寄りすぎている。半世紀以上前の戦後期の女性だが、平安時代の和歌を贈り合う習慣のある人間はさすがにいまい。

やや感想が辛口になった。総じて言うと、期待値に沿うような濃密な描写はなく、しかし展開はレクターの系譜を追うという趣旨からすれば面白いが、読めば某か不満は残り続けるのが本作。しかし、「ハンニバル」の読者が映画版の「ハンニバル」を観た場合と同じで、シリーズを知る者は必ずがっかりするが、がっかりするためには体験しなければならないものだ。つまり、食指が動き、進める気にはなるが、採り入れて知るに従って、知った満足と不満が相半ばする本。