ダライ・ラマ(著)
(★★★★★ 星5つ)
ダライ・ラマというと、個人的には仏教の最高指導者としての立場がまず思い浮かぶのだが、本書でそれよりもはるかに際立っていたのは、チベットの先導者としての立場だ。北京オリンピック開催前後ににわかに注目されたチベット独立運動だが、本書を読むと、中国の侵攻行為がもっと以前から問題になっていたのが、あらためて分かる。
読み始めた時には、ダライ・ラマの仏教的視座が、仏教の伝道者としていかに語られるのかを期待していたので、書の大半が中国のチベット侵攻について費やされているのを読むと、正直、仏教について語られるのはいつかいつかと焦れる気持ちが生じた。が、チベットを思い、国を背負って外交に腐心しながら日々を送る様が「これでもか」という勢いで書かれているのをを読み進めるうち、政治的な活動が仏教についてよりもはるかに多くの紙数を割かれて書かれるのは、ダライ・ラマにとって当然のことであり、自身の口から語られたものである限り、チベットに身を捧げる存在であることを語るのがこの人の自伝なのだと、思い至った。
一方で、幼少からの思い出や、その時の心情などを屈託ない口調で記しているのを読むと、ダライ・ラマとは観音菩薩の生まれ変わりであるとされる立場と、人間らしい人間としてのダライ・ラマの両方が確実に感じられた。自らの労苦については強調されていないが、人を思うことに生きることの大変さはいくばかりかと、尊敬の念を抱かせる書。なお、翻訳は今ひとつ。文脈を補って完結させる親切がもう一歩ほしい箇所が散見された。