ブックレビュー『両性具有の美』

白洲正子(著)


(★★★★★ 星5つ)

両性具有というと、インドのヒジュラだとかギリシャ神話のヘルマプロディートスだとかを思い浮かべるだろうが、前者は時に神としてあがめられ、後者は人間のもっとも美しい姿との賞賛を受けたギリシャ彫刻も有名で、このテーマに好適だとしても、この本にはそれらは出てこない。出てくるのは日本の神代から見られる、恋愛や性愛の対象に男女の区別のない、曖昧模糊とした世界である。そして、その曖昧さに乗じて、男色が語られる。両性具有というより、それが主眼であったのだろう。もちろんそれは話が脱線したのではなく、最初から意図されたことだ。

たしかに、民俗学の本などから知れるに、日本ではだいたい第二次大戦前くらいまでは、男の契として男同士の性的関係があり、その洗礼を通過することではじめて一人前と認められる社会的クラスター(武士、徒弟、学生など)があり、それは文化でさえあったが、その、男だけで成立する全き世界では、女が受け持つと思われている領分までをも男がまかなえるので、「両性具有」という言葉をもってきたのだろう。あるいはそれは、男色というとそれだけで拒否反応を示す人に対してもうまく自分の考えを届けるための方策であったかもしれない。

白洲正子はそのあたりを心得ていて、南方熊楠(参考書籍はこちら)や、折口信夫なども持ちだしてくる。個人的には、そのくだりで柳田國男を一蹴していたのが小気味よかった。(笑)そして能の舞台に女性として初めて立った白洲正子らしく、能の世界の話が展開される。能も男性社会であり、演目の登場人物は男性が演じることが想定されているが、時に人物設定の性がチェンジしたりするさま、その幽玄に、白洲正子は両性具有の美を見てとる。長年携わってきた能を通じてのそれこそが、この本の主たるテーマのひとつとなっている。

それにしても、知識の広範には驚かされる。これぞインテリ、これぞ知識人というべきだろう。そして、態度が明快でラジカル、論理はというと、意のままに書き散らしてそれでよしと開き直っているところからも分かるとおりちょっと怪しく、読んでいて「ええと、これはたしか『両性具有の美』っていう本だったっけ?」と思い返す時があったが(学術的な著書でないので、エッセイとしてわざとそうしている向きもある)、言明するところは痛快。思わず記憶に留めておきたくて、ページの端を折った所があった。気に入ったフレーズとしては、

だいたい同性愛を「不祥事」と見なすところが学者の偏見で、もちろん学者といってもいろいろだが、柳田国男ほどの人物が、南方熊楠や折口信夫と袂を別ったのも、元はといえばそういう了見のせまさにあった。
「菊花の契り」より

女人は生れながらにして五障の罪(欺・怠・瞋・恨・怨)を背負っており、そのために成仏することがむつかしい。じっくり胸に手をあてて考えてみれば、一々思い当るふしがあり、別に男性上位の社会だからそういう結果になったとも考えられない。
「竜女成仏」より

それにつけてもこの頃の新宿二丁目あたりのおかまは、私が昔知っていた人たちとどこか違う。(中略)古いおかまの友人の一人に訊いてみると、言下にこう答えた。
「そりゃ命賭けじゃないからよ」

新宿二丁目のおかままで出てくる! 薩摩隼人の血を引き、豪傑で、男勝りなんてレベルではないほどなのに、いつもどこかエレガントで、唯一無二の雰囲気をたたえた白洲正子。エッセイからそのエッセンスを知るにつけ、読みながら思わずにんまりしてしまう。

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