ブックレビュー 三島由紀夫


太陽と鉄


(★★★☆☆ 星3つ)

三島の本は久しぶりに読んだが、三島のどこが複雑なのか、俺には分からない。本人さえ自分のことを複雑だとして売りたいようだが、とても分かりやすい。これを読めば三島が分かりやすいということが分かると思う。表題の作品『太陽と鉄』でもいつものごとくゴテゴテタランタランと文学的装飾の限りを尽くしているが、要するに
「私はちょっといい所の出でそこが自慢なんだけど、太平洋戦争に兵隊として行けなかったのがコンプレックスです。でもって隠し切れないゲイ性はギリシャへの憧れと表裏一体なんで、肉体は鍛えてないと萌えないし、萌えついでにちょっと日焼けなんかもしちゃったりして。そしたら男らしさが徴兵検査で不合格だったのの埋め合わせにもなるかもしれないし。んでそれを究極的には死ぬことで破壊するってのが自分のエクスタシーです。」
というのを紙数を費やしているだけなので、何の分かりにくいことがあろうか。
あと三島についての理解のためにここには書かれていない押さえておけばいいことといえば、死ぬ時が一番の恍惚という考えの契機としてキリストの殉教図に萌えるのでプラス武士道への憧れと組み合わせるとすると切腹に至るとのプロットは早くからできている、ということと、天皇への強烈な敬愛と、ぐらいか。

本書は↑に述べた『太陽と鉄』と、『私の遍歴時代』との2篇から成るのだが、三島を知っている人なら前者はハイハイと読み流して、後者の方がエピソード的には面白いだろう。太宰が嫌いだったことを、面会のエピソードを介して自ら語ることなど。読んで損はないとは万人に対して言い切れないが、三島に興味があれば何かしら得るところはあるだろう本。(2014/6/16 記)

命売ります


(★★★★☆ 星4つ)

三島由紀夫の小説作品といえば新潮文庫のものが大半なイメージだが、これはちくま文庫から出ているもの。ちくまからはエッセイが多いと思っていたので、これは三島の作品の中ではマイナーな部類に入るのだろう。

さて、物語は俗な上にも俗な感じの設定と展開で、現代にこれが書かれていたら安っぽいテレビドラマの脚本になりそうだ。それを救うものは、これがニヒリズムに裏打ちされているということと、三島が他の作品でも時々見せる、世情を俯瞰的に見る(現代的に言えば「上から目線」というか)見方だろうか。筋は破天荒な展開を見せ、時に非現実的であったりするが、総じて分かりやすく、そうひねってあるところもない。軽く読めて、三島らしいところもあって、いわば三島小説のディフュージョンというか、bis版といった趣。三島の作品を読みつけていない人のとっかかり、あるいは読み慣れていて少し軽い物が読みたいといった人にはいいのではないだろうか。

天人五衰 豊饒の海(四)


(★★★★☆ 星4つ)

主人公は連作ゆえのリレー走者として、高齢になった裁判官本多だが、三島の興味はもっぱら転生の主と目された何ものをも信じない少年安永 透にあるように思われ、安永に三島お得意の美少年のキャラクターを与えている。しかし安永は冷酷無比で、その冷酷さは若さゆえの尖った透明さにあるものだが、それを打ち砕く本多の友人久松慶子が痛快。しかし物語はあらゆるものを裏切っていき、果てはあっけのない終わりを告げる。

天人五衰の語も仏教から来ているように、仏教的無常観から来たものか。しかし、偏執とも思える『奔馬』『暁の寺』の筆致に比べて、諦観にも似たそのあっけなさは、ほとんど残酷にさえ感じられる。そしてそれが三島の最後の作であることを考えると、読者にとっては何ともやり切れない気持ちが読後感として残る。

暁の寺 豊饒の海(三)


(★★★☆☆ 星3つ)

『奔馬』から更に舞台が移り、今度はタイの異国情緒が長い物語の退屈さを助けようとする。しかし主人公に設定された本多が『春の雪』での初期設定で主人公清顕を引き立たせるために、殊更面白みのない人物にされているため、年を取っても老獪さで面白みが増すわけでもなく、苦しい展開。裁判官本多が出歯亀爺さんだったというのは、スパイスにもならず。と書くとひどい小説に思えるが、文体の華麗さは奔馬よりも秀でていて、文章を味わいながら読むのには適している。ただ、ここまで来ると読書の意欲は作品自体への興味というよりは、4巻まで読み進めておかねばという意識に引っ張られている感じ。作品に辛抱強く、または寛大に付き合う心が今もってなお必要。

奔馬 豊饒の海(二)


(★★☆☆☆ 星2つ)

『春の雪』に引続いて、三島のオナニーは果てしなく続く。

前作での主人公松枝清顕の転生(と思われる)青年、飯沼 勲の愛読書たる『神風連史話』は、書籍中に書籍を織り込む形で三島がいかにも皇統に傾注した執着と、三島の圧倒的な語彙力をまざまざと見せる。

が、そんな趣向のない読者にとっては、飽き飽きさせられるところ。本人がシリアスにすればするほど周りの人間には鼻白むことというのが、世の中にはあるものだ。三島自身の「盾の会」結成を思わせる、蒼い義憤を抱えた右傾化青年達の、あっけない無駄に美学を見出させようというあたりが、いかにも三島を感じさせる作品。作品に辛抱強く、または寛大に付き合う心がますます必要。

春の雪 豊饒の海(一)


(★★★★☆ 星4つ)

意図的に修飾に修飾を重ねられた文章が、如何にも三島由紀夫らしい。唐突に見える比喩を持ち出してくるところは、ゲイ文学に出てくるqueenyな登場人物を想起させる。そして、いつもながらの男の肉体への賛美を忘れず。天皇賛美・華族万歳な姿勢とともに、三島は自分のファンタジーに好きなだけ耽溺したかったのだなぁ、というマスターベーション的世界が展開されている。贅沢に紙数を費やしたのは、そのマスターベーションで膨大に撒き散らされたものを拭く花紙もまた大量に要ったが如し。

読んで損はないが、作品に辛抱強く、または寛大に付き合う心が必要。

沈める滝


(★★★★☆ 星4つ)

主人公が美貌の持ち主という三島の好きそうな設定(美貌と聞いて一般に思い浮かべるやさ男ではなく、浅黒く「屈託のなさを演じるには好都合な」青年像を描くのは、いかにも三島の好み いろいろな意味で)以外は、どの登場人物にもシニカルな視線を忘れない、三島らしい捻くれと純心が交じった作品。

心が痛くなるような、あるいは読んでいてつい設定に自分を入れ込ませてしまうようなところは他の三島の作品に比べると比較的薄いが、小説技法ではなく、納得させる比喩やシンボリックな表現は、平明なストーリーとともに三島文学に親しむ好材料。

鏡子の家


(★★★★★ 星5つ)

ストーリーにドラマティックな起伏がある訳でなく(死や暴力でさえもさらりと展開され流れて行く)、登場人物のそれぞれの絡みもそうある訳でなく、時に熱を帯びる心情描写は三島が雑誌に寄稿したような内容で、物語にタグづけされている訳でなく。

つまり、この作品を支配しているのは浮遊感。ストーリーを作り上げることがこの小説の目的であるというよりも、小説の体裁でもって得意の持論を展開し、そこに逆に物語を沿わせていった感じが、その浮遊感の中身なのだろうが、三島自身を重ね合わられる分身を男の登場人物達として描き出しているような節がある。 得意のダンディズムとニヒリズムとナルシシズム、そしてあくまで男女間の関係の体裁を取りながら、非常にゲイな香り(ボクシングやボディビルの肉体描写には、他の描写とは一段異なる熱を帯びた執心が感じられる)。それらが時代と呼応して三島独自の世界を織りなしている、興味深い作品。

作品自体よりも、作品の背景こそがこの作品のオリジナリティなのかもしれない。

金閣寺


(★★★★★ 星5つ)

狂気の内側を知りたいと思う人間心理が、読み進める牽引力となるものの一つ。そして、意表を突く事物心象の形容が、言葉そのものを味わう悦しみを連れてくるのが、牽引力のその二。絢爛たる個々の修飾の連続が綾成す本作の文章は、三島の作の中でも特に特色立っている。その圧倒的独創が、金閣の煌びやかさのように、作品全体の印象をくっきりと過剰なほどに際立たせる。言葉の力をまざまざと感じさせる本作は、小説好きなら必ず読んでおきたい作品。

しかし編集によりつけられた脚注があまりにも煩わしい。今回、文庫本で読んだのだが、 基本語にもいちいちつけられた「*」が、読んでいて気を削ぐ。新潮社さん、読者サービスの過剰・編集者知識のいやらしいデモンストレーションは一切無用。 改版して全面的に見直してもらいたい。

午後の曳航


(★★★★★ 星5つ)

三島らしく、多聞にゲイ的な要素を孕みながら、ストーリー自体は(体裁的には)ゲイ小説ではない。10代の子供の残酷が青く透明な世界で描かれている、日本版アンファンテリブル。舶来主義にニヒルな一瞥をくれながら、船乗りと未亡人との恋を主軸にストーリーは展開してゆくが、読み手が追うのはストーリーではなく、そこここにちりばめられた三島流美学であり、船乗りの男性性であり、映画の『マレーナ』を彷彿させる未亡人のけだるい美である。これぞ退廃美。