ブックレビュー 車谷長吉


灘の男


(★★★★★ 星5つ)

豪放磊落な荒くれ男とは、この小説の登場人物達のような男達のことを言うのだろう。今の平坦な世の中で、男女同権が進みつつある中、こうした男達の生き方を肯定するとたちまち眉をひそめられることと思う。
俺もそれを決して賞賛するものではないのだが、それにしても豪胆にして一つ気、義理を欠かず信を貫く灘の男達の実録には、畏敬の念を持たずにはいられない。

最初読んでいると、とりとめももない世間話を喫茶店か何かで耳にしたようで、その平々凡々の語り口に何の面白いことがあるのか、と思う。とっかかりは。
しかし、語られてくるにつけて、その豪気、人を食わせていく心意気、生きることや仕事に文字通り命を懸けて疾走した男達の凄味が、ひたひたと感じられ、気づくとそれに圧倒されている。

個人的に、40の半ばも通り越し、いまだフワフワしている今の自分の有り様を恥じているのだが、この小説にはそんなこととは対極にある、がっしりとした気骨の固まりのような生き様がありありと描かれている。

本書には他にも『深川裏大工町の話』と『大庄屋のお姫(ひい)さま』の2話が収録されている。いずれも語り口をそのままに、『灘の男』とは別の世界の話を描き出しているのだが、こちらは車谷長吉の恐るべき取材力と、それを小説に落としこむ筆の力を感じさせる。描かれた人達も、描いた人もすごい1冊。(2015年2月17日 記)

喪中

(★★★★★ 星5つ)
(★★★★★ 星5つ)

短篇集。いずれも人のやりきれない死が正面に置かれた昭和の闇のような小説集である。小説でありながら新聞の引用や、実在の事件や、小説ならばどこどこ出版といった名前まで書かれているので、ハテ随筆だったかと思うような妙なリアリティーがある。

それは最初違和感なのだが、読んでいくにつれて、こうした人の生活に根ざした小説は現実がベースになっているのに、仮名で書かれてはいるが現実にはその人でしかあり得ない人や、商品名や、地名、施設名がボカされている方が実は不自然なのだと気付かされる。そこに気づくと、一挙にクリアすぎるほどにクリアに小説世界が自分の中に食い込んでくる。

さて、いずれも人の死をテーマにしているが、「自分の人生に悔いはありません」とか、「最後にありがとうって言って死にたい」といった綺麗事に死がマスキングされている虚構の現代にあってこれを読むと、悔いのありすぎる人生やらやりきれなさが満載の人生をまざまざと感じ、冷水を浴びせかけられたような、あるいは冷房がなく逃げ場のない暑さにじりじりするしかない夏の和室に閉じ籠められたような、実感迫る不快でもって死を自分の中で再定義することになる。

たしかに、世の中にはそう生きるしかしょうがなくてその人生を生きている人の方が圧倒的に多いだろう。境遇から抜け出せないどころか、ずぶずぶとより深くその泥に塗り込められて行くうちに自分で自分を追い詰めるようなことだって、たくさんある。
社会ニュースを賑わせるような人の死では「何故そんなバカなことに陥ったのか?」と思わせるようなことが多々あるが、そこには、そうなるだけの濁った事実が絡まり合っているのだ。
ふと、狂気を解き明かして凶行に及んだ心理と経緯を描き出したところから、三島の『金閣寺』を思い出した。あれは僧侶、これは俗世も俗世の物語だが、どこかその深淵への描き出し方に人の世の何か共通するものが根底にあるように思われ、これを読むと昭和という時代の持つある種の湿度や混沌に、いつしか引き入れられてしまう。ちなみにこの人は第6回三島由紀夫賞を受賞しているそうだ。(2012年10月24日 記)