短編小説『誘蛾灯 Pt2』


誘蛾灯 Pt1から続く

以前、ガレージに放り出された時は辛かった。ケンゴと付き合う前の男の部屋にいた時のことだ。時々セックスはするが、関係性を敢えて言えば同居人で、付き合っているという意識はお互いなかった。俺はアルバイトをしていて、家賃を半分入れる約束で同棲を開始したのだったが、パチスロで負けが込んで、アルバイト代から家賃を入れると飯代がなくなるので、折半する約束だった家賃の、そのまた半分だけ払った。時々遅刻して、収入の目算より少ないこともあって。
それが4ヶ月続いたら、ある日、すごい剣幕で怒られて、翌日、部屋からロックアウトされた。

俺はその日が給料日で、昼間のシフトのアルバイトを終えると、まず負けが続いていたのを取り戻すべく、パチスロで粘ってみたが、やっぱり負けて、とりあえず部屋に帰ることにした。
部屋は傾斜地の上の造成地に建てられたメゾネットのアパートで、建物の下に、使われていなかった堀込式の半地下のガレージがあった。普段、ガレージのシャッターは閉まっているのに、その日は上がっていた。過去にも何度か経験した、あの嫌な予感がする。そして奥を見たら、見覚えのある物が積まれてある。
俺の荷物が全部出されてあった。俺の荷物は多くはなく、もともと人の家を転々としていた俺が持っているのは、服と、靴と、鞄と、通帳その他の細々した物くらいで、今、このケンゴが出ていったがらんどうの部屋に置き去りにされている物と、ほぼ同じだ。
ちょうど今日のような、陽が翳ってきた夕方だった。ただし、今のように初秋ではなく、肌寒い晩秋だったので、もう少し時間は早かった。

車庫の横の階段を上り、玄関から部屋に入ろうとしたら、鍵が回らない。既に取り替えられていた。部屋には人の気配はなく、留守のようだった。
そこで俺は、車庫に戻り、シャッターを下ろして、天井に蛍光灯があったのでそれを点けて、鞄をクッションに座った。服の上に置かれた「猶予は1週間。1週間経過したらここを出ること」と書かれたメモに気づいたのはその時だ。

俺にとって、メモというのはいつも、何かの宣告かつ最後通牒だった。
バイト先のタイムカードに貼られていた「次に遅刻したら辞めてもらう。十分注意すること」と書かれた付箋。
出先で探った俺のウェストバッグのポケットを探ると出てきた「もう一緒にいるのは無理です。月末で出て行ってください」とだけプリントアウトされていた3つ折りのA4用紙。
行きつけの新宿二丁目のバーのドアに貼られていた「ヤスユキ ツケが払えないなら出入り禁止」の会計伝票。
それらを目にした時、どうするか? どうしようもない。まあ、お怒りごもっとも、というやつだ。俺はそれらを素直に受け入れてきた。つまり、次のシフトに1時間遅れて行ってバイトをクビになり、とりあえず月末に手で持てない荷物は実家に着払いの宅配便で送って他はバッグに詰めて男の部屋を出ていき、ツケの払えないバーには行かないことにした。
それでも、バイトは職種を選り好みしなければあったし、一緒に居てもいいという男はまた現れたし、バーは他にもいくらでもあった。ただし、実家からは「何をやってるんだ、お前の物は全部処分する、帰ってくるな」と怒りの電話がかかってき、ツケ踏み倒しの噂はあっという間に界隈に広まっていて、どのバーでもキャッシュ・オン・デリバリーでしか飲めなくなったが。

話をガレージに戻そう。夜になって、部屋の住人(つまり前の男だ)が帰宅した雰囲気があったが、向こうはシャッターの閉まったガレージのこちら側をうかがう気配もない。こちらもまた、ノコノコ上がって行ってチャイムを押す気にもならなかった。

シャッターがあってありがたかったのは、寒さをある程度遮ることができるということよりも、人目を気にしなくてもいい点だ。文字通り外界からの視線をシャットアウトしてくれる。ガレージは、無論、人が住むべき場所ではなかったが、4、5日なら別に平気だった。しかし、6日目の夜、雨が降ってきて、閉じたシャッターの下からじわじわと雨水が忍び込んでき、面積の半分ほどが水溜りになった時、そうも思えなくなってきて、俺は夜、二丁目に出かけた。根拠は丸でなかったが、何となく、行けば何とかなる気がしたからだ。

その日は幸い給料日で、パチスロでスったにしろ、いくばくかの金はあった。そして置かれた惨状を、とあるバーで、マスターに愚痴っていた時だ。「ヤスユキ、お前、ここに飲みに来る金があるんだったら、まずその生活をなんとかしなよ」と、愚痴に対する返事としての至極まっとうなお説教をマスターから食らっていたら、カウンターの角の席にいた先客の男が、この寒さと雨じゃガレージで暮らすのは無理でしょう、うちにちょっと泊まって部屋探しでもしたら、と声をかけてきた。
マスターは、「この人にはね、そんな温情はかけない方がいいよ」とその男に言ったが、そういう声がけをしてくる男は、どんな忠告をされてももう決心を変えないのを、俺は経験上知っている。俺は、その男のおごりでもう一杯飲んで、一緒にタクシーでその男の家に行った。それが、ケンゴだった。

もちろん一宿一飯の恩義と言わず、出ていくのがいつになるかは分からなかったが、しばらくはヤスユキの家にいさせてもらうということもあって、俺はケンゴの肉体的な求めに素直に応じた。というとまるで売春じゃないかと思うかもしれないが、バーで誘いがあって家にいけば男同士当然そうなる訳で、たまたまそのストーリーのきっかけとなった背景が、俺がガレージに追い出された一件だったというだけだ。しかも、居候とはいえ、居つくのは俺から頼んだんじゃない。大人同士、完全な合意があって事に及んで、誰がそれを非難できるだろう?

翌日、俺はガレージとケンゴの家を何往復かして、自分の荷物をケンゴの家に運び込んだ。全部運び終えたあと、前の男の部屋の玄関ドアには小便を引っ掛けてきてやった。追い出されたのは俺のせいなのでしょうがないが、何往復も荷物を運んで疲れたことにイライラしたからだ。

ケンゴは、極普通の男だ。顔も体型も、ライフスタイルも。顔や体型といった外見が「普通」というと、ゲイの世界では「つまらない」とか「性的魅力がない」ということの言い換えだが、ケンゴは服のセンスもダサからず、身だしなみもちゃんとしていて、決して嫌悪感を感じさせるような感じではなかった。1DKの賃貸マンションに住み、住宅リフォーム会社の正社員で、朝会社に出かけ、1時間ほど残業をして帰ってくる。週2回はジムに寄ってから帰ってくるので、帰宅が10時を過ぎることもある。

俺は、このケンゴの家に世話になった当初は、アルバイトでファミレスのキッチンに入っていたのだが(それはあれこれバイトを変えた後、ガレージの一件の男と一緒に暮らしていた頃からやっていた)、運悪くその店が店舗統合で閉められることになり、俺は他のバイトとともに一旦全員解雇された。店長の口利きで、その店の近くにある、同じチェーン店の統合先で働くこともでき、現にそうした他のバイトも何人かいたが、そこには時々俺をガレージに追い出した男の、そのまた前に俺が付き合っていた男が近くに住んでいて、客として時々食事に来るのを知っていたので、俺は雇い直ししてもらわなかった。

ケンゴは情に厚い男だと思う。甲斐甲斐しくもあった。いい加減な食事しかしていなかった俺に、飯を作って食わせてくれた。ジムに行って帰ってくる日もだ。それまでの俺は、アルバイトがあった日に、賄いというか社割のような制度でファミレスのメニューを自分で作って食う以外は、コンビニ弁当→牛丼→カレー→ハンバーガーのローテーションで食事を済ませていた。特にそれについて不満もなかったし、惨めな食事をしているという意識もなかったが。

飯を作れる人間は、魔法使いだと思う。そのままでは大して旨くもない、あるいは食えない材料を取り合わせ、思いもよらない味に仕立てて、きれいに盛って出す。バイトでキッチンに入っていたお前はどうなんだ、と言うかもしれないが、あれはレトルトを電子レンジで温める作業プラスアルファくらいの物で、材料も分量も全部決められていて、それをただ順序に沿って組み立てて、写真どおりに皿に配置しているだけで、自炊で飯を作れるのとは雲泥の差だ。

ところで、今日の飯はどうしようか。ハッピーアワーの居酒屋では飲んでいただけで、腹の足しになるような物はあまり食べなかった。とりあえず冷蔵庫…と台所を振り返る自身の間抜けさには、我ながら呆れる。冷蔵庫のあった場所には、日焼けを免れていた白い壁紙に、弱々しい夕陽のオレンジが斜めに差し込んでいるだけだった。

Pt3に続く