短編小説『誘蛾灯 Pt1』

夕方、部屋に帰ってきたら、家財道具一式がなかった。まず、玄関に入った途端の殺風景さに、嫌な予感がした。靴箱を開けると、俺の4足の靴だけ。上の棚もきれいさっぱり何もなく、傘立ても、下駄箱の上にあった鍵を提げておくミニチュアツリーも、グッピーのいた水槽もない。もちろん、グッピーごとだ。上がってすぐのキッチンカウンターにも、今朝伏せてあった洗い物を含め、何もない。

部屋に入り、スイッチを押して灯りをつけると、ダイニングテーブルのあった場所にそれはなく、その上には見慣れたペンダントライトの代わりに裸電球が提げられていて、フィラメントからの光が直で目に入ってきた。

俺は、酔いが醒めかかった頭で、次にどうしたらいいか、ぼんやりと考えた。居酒屋でハッピーアワーの飲み放題プランに有頂天になっていた場合ではなかった。この状況では、多分ケンゴに電話をしても通じず、LINEもブロックされているだろう。どちらも、試すだけ無駄というものだ。何かこのことについて言っているだろうかと念のためツイッターを見たら、そっちはアカウントごと削除されていた。

無駄ついでに、リビングダイニングから続きの、寝室に使っていた和室を隔てている引き戸を開けてみた。見事に何もなかった。押入れの襖は開けられていて、そこも空なのはわざわざ近寄って見るまでもなかった。つまり、布団もないということだ。今夜はここにゴロ寝か。
枕くらい置いていってくれても、と少し苛立ったが、しょうがない。俺の物ではない限り、持っていかれても文句は言えない。今は初秋だがまだ暑く、布団をかけなくてもいいのと、エアコンが備え付けで持っていかれていないのは、幸運だ。

ベランダに出る窓の横の、引き出しのあった場所には、俺の服が積まれていた。といっても、そう数もないのだが。引き出しから出してそのまま置かれてあった、といった方が適切だろう。

そしてその服の山の横には、俺の鞄が3つ置いてあって、そのうちの一つの一番大きなボストンバッグ上に、鍵と共にメモが置かれていた。この状況を見れば、それがよくないニュースを伝えるものであることは明々白々なのだが、状況把握のために、読んだ。

ヤスユキへ

何もせず寄生状態でのうのうとしている貴方に、
ほとほと愛想がつきました
俺は引っ越します
大家さんには、弟が引き続き住むからと言っておき、
俺はこのまま部屋を出ます
賃貸借契約の名義だけヤスユキに変えておいたので
俺の引越し先は、
大家さんから聞き出そうとしても、知らないのでムダです
ここに住み続けるのは自由です
(まあこのままだと家賃延滞で追い出されるのがオチでしょうが)
新しい男を引っ張り込んで家賃の支払いをお願いするか
どこへ行こうと、どうしようと自由ですが、
これから自分のことは自分でなんとかしてください

さようなら  ケンゴ」

俺はケンゴの弟ではない。男二人で部屋に住んでいることの体裁上、大家には俺はケンゴの弟ということにしてある。尤も、大家はその嘘には薄々気づいているのだろうが、今は賃貸住宅も物件によっては借り手を埋めるのが難しくなってきているので、このマンションの場合、迷惑をかけず家賃さえ払ってくれればそれでいいということなんだろう。契約時はケンゴ一人で住んでいたところに、俺が転がり込んできたので「同居させてます」という体でもあったし。

男に見限られるのは、これが初めてではない。が、慣れっこではない。拒否されることに慣れはしない。人から拒まれるたび、いつもどこか傷つく。その傷を、「まあしょうがない」という自分で自分を無理やり納得させる考えのパテで埋めて、なかったことにする。傷がそこにあるという事実は変わらない。ただ、見えにくくなっただけだ。原状回復としてはそれくらいしか手がない。ただ、今回のこれは、埋めるのに少し難儀しそうだが。

和室からベランダに出るサッシのカーテンも、もちろん取り払われている。訪れたばかりの夜の向こうに、俺の顔がぼんやり浮かんでいた。サッシの下半分が金網の入った曇りガラスになっていて部屋が丸見えにならないこと、そして何よりまだこの部屋に今日はまだ居続けられることも、前のケースに比べれば、救いだった。

Pt2に続く

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