ブックレビュー 安岡章太郎

海辺の光景


(★★★★☆ 星4つ)

短篇集。表題の作品は「うみべ」ではなく「かいへん」だそうだ。

精神を病んだ母親に最期に付き添う様が、そこに至る思い出とともに過去と現在を行きつ戻りつして描かれている。人が狂気に至る様、特にその人が自分の肉親であった場合に事実を受け入れることは大変むずかしいだろう。殊、精神的に受け入れる困難のみならず、自分がまた病身でままならぬ自立の状態にある場合は。そのやるせなさ、持って行きどころのない焦燥や怒り、そしてそれを抜けたところにぽっかり生じる虚無、その虚無を埋めるかのように眼前に現れる精神病棟での有り様。物理的に何もない所でのはてしもないじりじりとした時間を文字で表すというのは、並大抵の能力ではない。つい目を背けがちなところを、虚空を見つめる力でもって描き切っている。

他の作品も、一見何もないように見えるが空白ではあり得ない時間を見事に表現している。収録されている『秘密』の幻想文学のようなタッチも面白ければ、繰り返し使われる舞台のモチーフとしての戦後引揚者の虚脱と家族を巻き込む困窮も興味深い。最後に収録された作品『愛玩』は、『海辺の光景』とモチーフを同じくし、いわば『海辺の光景』のリミックス版といえるような作品なのだが、少ない手持ちの札でもって色々を展開させて見せる手腕は、狭い世界観と引き換えの深さといえるだろう。(2013/8/9 記)

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