小説『クラブロンリー』第3章[QUICK メインフロアー]


第2章[MYKONOS LOFT]から続く

QUICKのメインフロアーはMYKONOS LOFTに比べると広大だ。階段から数歩出たところで、全貌は見えない。5階まで吹き抜けになった空間を支える幾本かの柱の間を、ライティングが走る。タイトフィットの服さえビリビリ振動させるスピーカーの音圧、踊る男達の人いきれ。
充満し、ジェネレートされ続けるエネルギーを、俺は夜の香気と呼んでいる。森の下草や砂漠の虫が、夜露を含んで生命を育むように、ある種の人間は、生きるためにこの香気を吸い込むことが必要だ。朝帰宅してシャワーを浴びると、髪についたタバコの臭いが流れ落ちてきてうんざりするのだが、それでも。

匂いついでに言っておこう。ゲイクラブは、芳しい。無論、件のタバコを別にすれば、だが。むくつけき男も少なくない場所だというのに、例えば今夜のようにレザーやラバーのコスチュームの人間が多くいる夜でさえ、汗臭さのひとつもない代わりに、漂ってくるのは、エタニティー・フォー・メン、エゴイスト、ポロ。無論、体臭その他を楽しむ向きマニアックな族もいる。が、彼らは『汚れ専』と呼ばれ、他所で別のコミュニティーを形成している。

スモークがたかれ、歓声と共に曲はHardrive [Deep Inside]からFrankie Knuckles feat. Roberta Gilliam [Workout]へ繋がれてゆく。

俺は男達の林に分け入る。神々しい木々達が時折光に照らされながら、逞しい幹を揺らしている。あまやかな空気が漂っているのを感じる。隣をすり抜けていった男のファーレンハイトのことではない。この男達が全員ゲイだからだ。躯をビートにドライブさせる。政次は隣のメッシュTシャツの男と絡みだした。そこここで、求愛と求愛が成立した後の睦み合いが、ノンストップで紡がれるハウスミュージックのようにクロスフェードし、ダンスとして表現されている。Brothers In Rhythm [Such A Good Feeling]がフロアーを煽る。

音とダンスに陶酔しているようでいて、俺のリビドーは常に、チロチロ舌を出してヤコブソン器官で獲物の存在を捉えようとする蛇の冷静さで周りをセンシングしていた。美しい男達は周りに揃っていたが、あれ=俺の血流をせき止め一箇所に集中させるトリガー=に欠けていた。
俺の男の好みは、概ねオーセンティックだ。顔は整っていた方がいいし、体は鍛えているに超したことはない。そんな条件を全てクリアーする男を街なかで見つけるのは難しいが、ここでなら確率は跳ね上がる。が、そこからの絞り込み条件が、我ながら面倒くさい。整った顔といっても、くどすぎるニ枚目や、反対に歌舞伎役者のような優男・公家顔は、好みから全く外れる。そこにはある種の男くささが、破綻を来さない程度に加えられていなければならない。体は鍛えられてマッチョがいいとしても、ラグビーのフォワードやプロレスラーのようなカットのないのは外れ、かといって体操選手のような筋肉は禁欲的すぎる。

それにも増して厄介なのが、世ずれしていなさという不確定要素だ。自分の市場価値に気づいてしまって振りかざす感じがあると、途端に興味が薄れる。だから、ゲイバーで「芸能人で言うと誰がタイプ?」という質問が苦手だ。そういう時は、芸能人にいなさそうな感じ、という嫌味な返しをして、それ以上の追求を逃れることにしている。あとは、人好きのする感じ。そんな条件を全部備えて俺のトリガーを引く男は、やはりそうそういない。例えば、竜人のような。

そういえば、まだ竜人の姿を見ていない。一緒に夕飯を食べてから行こうと誘ったが、友達と食べるからと言うので、QUICKで落ち合うことにしてあった。ここに来る前、公衆電話から俺の家の留守電をチェックした時には、直接中で、と、メッセージがあったのだが。まだ入口でケイジにピックアップされていないのかもしれない。

第4章[竜人]へ続く