付き合い遍歴 その10 二人を死が分かつまで


それから数ヶ月して、冬になり、事態は急展開を迎える。クリスマスの夜、護は急死した。12月の頭に熱が出て頭が痛くて吐き気がすると訴え、一旦内科にかかったが、1週間してもよくならずに病院に行ったら即入院だった。脳膿瘍と診断され、緊急手術を受けたが、軽快せず、脳幹を超えて半分以上を侵食し、意識が戻らず、入院から3週間でこの世を去ったのだった。

護が入院している間、俺は毎日面会に通った。手術後はICUに入っていたが、その時も1日15分の制限下、面会した。病変が拡大して「もう(元には)戻りません」と言われ、反応もおそらく意識もない状態になって一般病室に移されてからは、本人が判らないのではと数日行かないことがあったが、翻意し、顔を見に行った翌日の夜、護は息を引き取ったのだった。顔を見て「護、よく頑張った。もう、頑張らなくてもいいよ」と俺がかけた声が届いたのかもしれない。

何故法律上は他人の俺が毎日ICUに面会に行けたのか。それは、護の両親は一旦手術の同意と看護のため東北から東京に出てきたが、護の両親が護の携帯を預かって中を見て俺と護の関係を知り、彼らもずっと東京に張り付いている訳にも行かないということで、俺に面会看護権を与えてくれたのだった。護の両親は、俺にコンタクトしてきて、当時八重洲にあった俺の職場近くまで出向いてきて、そこで初めて対面で話をし、手短にそんな話になったのだが、丁寧で人あたりのいい両親だった。

脳膿瘍の素因は、HIVだった。実は、護がHIVポジティブなのは知っていた。俺と同居していた時に、検査で判明したのだった。俺にうつしたかもしれないと護は心配していたが、俺は幸い陰性だった。脳膿瘍が生じるまでの護は、体調に問題なく、ごく普通の生活をして、ジムにさえ通っていた。それが急転直下、こんなことになろうとは思わなかったし、本人にとっても意外だったことだろう。護が陽性であることは知っていたのだから、外から見た体調が何ともなくとも、定期的に医者にかからせていれば、これは防げたかもしれない。そんな後悔に鞭打たれた。

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