付き合い遍歴 その10 二人を死が分かつまで


しかしここで、転機が訪れる。護の会社が倒産し、護は職を失った。このままでは家賃が払えない。東京に戻ってきてから転職・転居を繰り返してきた俺に、2人分の家賃と生活費を支払う資力の余裕はなかった。已むなく護は、故郷の東北地方某県にある実家に戻ることになった。その時点で、一旦関係は解消しようということにした。

俺は俺で、住む場所をすぐに探さねばならなかった。住んでいたアパートは護の契約だったので、出る必要があったのだ。俺は急遽、当時流行っていたインターネット掲示板でルームメイトを募集している投稿を見つけてコンタクトし、護と過ごした部屋から、渋谷区内のマンションに移った。

この転居は、自分にとって甚だ不本意だった。このマンションの一室の持ち主を、仮に吉弘としておく。吉弘の部屋は賃貸ではなく分譲だったので、又貸しの問題は生じなかったが、マンションとは名ばかりの、古くオンボロな建物だった。一階にあり、中庭を擁していたが、中庭には雑草が生い茂っていて陰鬱な雰囲気だった。風呂の給湯器は風呂釜が風呂場内にある、昭和の団地のような設備。吉弘はADHD気味でそこいら中が散らかっており、物は分類されずに置かれていて、鉛筆と歯ブラシと爪切りと箸が一つのコップに一緒くたに入っていたりした。全ての物が古びていて、ここにかつて新品の物があったためしはあったのだろうかと思えるような有様だった。背に腹は替えられぬと必要に迫られて転居したものの、これまで暮らしてきた中で一番酷い有様に、暗澹たる気持ちになった。区域としては高級住宅街にあり、周りの建物と比較すると、その惨めさが一層こたえた。

吉弘は、物を区別し整頓する能力もなければ、所有の区別という概念もないようだった。俺の電気シェーバーを勝手に使っていて、付き合っているならまだしも、単なるルームメイトにそうされるのは、とても嫌だった。本人は指摘しても何が悪いのか分かっていない様子だったので、俺は洗面所に置いてあった俺の物を吉弘に使われないよう、全て自分の部屋に引っ込めた。

俺にあてがわれた部屋は、中庭からの蔦が窓ガラスに伸びてきており、ある日奮起して俺が中庭の草を全部刈ったが、窓の木製の桟が虫喰いにより朽ちかけており、それはどうしようもなかった。雨の日、そこに蟻の行列を見た時には、「侘しさここに極まれり」と情けなくなった。そして、金を貯めて早くここを出ていこうと決心した。俺はその頃またまた転職していて、PC周辺機器メーカーの販促室に勤めていた。

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