ブックレビュー いしいしんじ


みずうみ


(★★★★☆ 星4つ)

分類するなら幻想小説ということになるだろうか。物語は三部構成になっている。月に一度村を水浸しにするみずうみと不思議なしきたりに暮らす村の話からスタートして、童話を聞くような気持ちで第一部を読み進めると、突然第二部では年月を経て、みずうみの村出身の男が東京でタクシー運転手をしている。幼年期との牽連性はいつ明らかにされるのかと思っていると、ここにも幻想のよすがこそあれ、結局明らかにされることはない。キーになるシンボルやら音やらは出てくるがそれだけで、タクシー運転手がその暮らしをするに至ったことは語られないし、未来を予感させるものもない。

ならば第三部でどうまとめるのかと読むに、第三部は第一部と第二部の関係よりももっと分断されていて、第一部でのモチーフは繰り返し出てくるのに、第二部は、書かなくてもよかったんじゃないだろうかと思われるくらいに無視されている。そして出てくる登場人物それぞれの関わり合いも顧みられることなく、話は発散して終わってしまう。

あとがきの解説によると、第三部には作者の私的体験が投影されていて、それが作者的にあまりに大きかったために、独立したのではないかという。要するにこの小説は空中分解してしまったのではないかということなのだが、書き出しの丁寧さや、リズミカルな音の響きの挿入(多少くどくて飽きるが)といった、ベースにある書く力によって、小説はなんとか形のないままだが体裁を保っているし、読んで「なんじゃこりゃ、読んで損した」と思うこともない。みずうみそのもののような、実体をとらえがたいのにどこか惹きつける不思議さがある。

面白い試みだなと、読んで面白く思ったのは、第三部のロケーションの書き方。ニューヨークや松本といった、読者はなにがしかの印象を持っている著名都市にも、地理的にどこどこに位置し何々が有名、といったわざわざウィキペディア的概説をつけていて、これは「こんなことは知ってるからいいよ、それより物語!」と読むと思うのだが、そう思わせるのが目的なのだと思う。

つまり、この小説を読んだことの果実としては、次のようなことがある。そうした金太郎飴的なデータで人はそのことを分かったような気になりがちだが、それよりも本質的に大事なことはあるはずで、そこを探ろうとする自分(読み手)のアクションこそが大事なのだと気づかせるのだ。すると、第二部のタクシー運転手のそれまでの経歴やら、土地との関係やらといったことを探るのが大して意味のないことだということに気づく。そして、物事はすべてケツが拭けてなくてもよいし、いろんなことは世の中で概況とは関係のないコアを複数持って起きていて、一見関係のあるように見えることも共通項は偶然の一致にすぎないかもしれないし、この世の中で起こっていることとしては、生命活動のあるあらゆる所に水の存在が共通しているように、繋がりもあるかもしれないといった、哲学的ともいえる考えに行きつくのだ。

通して読むと、いしいしんじは凄い力を持った書き手だなとあらためて思うことになる。要素をてんこ盛りにした挙げ句に発散してしまった小説、と見る人もいるかもしれないが、この小説の存在価値は充分にあると思う。

余談だが、この本は買ったことをすっかり忘れていて、書斎の本棚をふと見るとあった。何となく本の内容の不思議さとシンクロしている気がした。