付き合い遍歴 その16 納得づくの二号


二号は、その立場に納得するなら心地良いものだ。人付き合いにつきものの、時に煩わしい責任を負うことなく、恋愛の都合のいいところだけを味わえる。そして、二号を作る人というのは、必ずしも薄汚い欲望にまみれた策士という訳でもない。むしろ純粋に「好き」という感情のみをもって人に接する時間を作りたいことの現れであることもあり得るのだ。

その頃、俺は自分の部屋から程近い銭湯に、ちょっとした出会いを期待しながら何度か通っていた。そこでは、ゲイと密かに知り合って、近くの公園でインスタントなセックスをするというのを時々繰り返していた。風呂の中で行為をする訳ではもちろんない。依存症とまでは行かないものの、都会に住む独り者のゲイならままある頻度で。

風呂屋には、メインの浴槽の他に別スペースになっている半露天風呂があって、ぬるめの湯で長居しやすく、特に相手を求める訳ではない時でも純粋に風呂を楽しめた。そんな訳で月に数回程度、そこの風呂屋に行っていたのだが、ある冬の日、その半露天風呂で脚を伸ばしている友也を初めて見た。その場では肉体的に接触しなかったが、お互い気があるのは明白だった。風呂屋を出て、どちらからともなく声をかけ、俺は公園でなく友也を自室に誘い、事に及んだ。初めて会う相手だが、部屋に連れ込んでも安心な人物だと感じたからなのと、この男とは一過性では終わらない予感がしたからだ。

出会った時の俺の印象を、友也は後日、「もうね、鼻血が出るかと思った」と話した。タイプど真ん中だったらしい。友也はそういう駆け引きのない言い方を素直に口に出せる、屈託のない素直な性格だった。そのあまりに素朴でストレートな飾らない様子は、虚勢を張ったり、牽制し合ったり、駆け引きしたりする行動に出る輩が多いゲイを多く見てきて、中にはナチュラルにモラルハザードを起こすような相手とも付き合い辛酸を舐めた俺にとっては、惹かれずにはいられない感じだった。人懐こい笑顔の、目のきれいな友也に接していると、俺の穢れが浄化されていくような気さえした。

初めの段階で自分の状況を正直に説明してくるのも、友也のストレートさの表れだった。遠距離で続いていて、時期が来たらそこに行って一緒になると約束した相手がいるのだと。

それでもよかった。相手はおいそれと頻繁には帰れない距離で、その状況を俺が納得しているなら、友也が一人東京にいる時間の中で、共に穏やかな時間を共有してもいいじゃないかという落とし所に、俺は落ち着いた。

実際、友也と過ごす時間は楽しく、また同時に、心の落ち着くものだった。レンタルビデオ屋に行って映画を借りてきて一緒に見、ジムに行き、お互いの部屋を行き来して寝泊まりした。泊まりがけの旅行にも複数回行った。趣味で写真を撮り始めた友弥に撮ってもらった俺の写真は、俺がこう見えたいと思うようなかっこよさで撮られていて、どれもが気に入りだった。年末、彼氏とは会わず、帰省もしない友也と大晦日に鍋をつつき、新年を祝った。

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