付き合い遍歴 その16 納得づくの二号


いい関係だった。完璧に近かった。友也に相手がいなければ。

しばらくして、いよいよ相手の住む所に友也は引っ越してゆくことになり、俺と友也との関係は終わりを迎えた。どれだけ俺が友也と一緒に過ごそうとも、友也が如何にその相手と会う頻度が低かろうとも、友也と彼氏との間には、確固たる結びつきがあって、そこは俺の不可触域だった。その本来の形に戻っていくことを、当初の決意通りに実行する実直さもまた、友也らしかった。未練もなく心穏やかに友也を見送ることができた。

俺は、友也にとって都合のいい間男だったと言えばそうなのだろう。それでもよかった。しばらくぶりに、「俺はこの男の何たるかを知っている」と思える相手と胸襟開いて時間を共有でき、その時間は俺にとっては全部が真実でできていると思えたのだから。もし友也の彼氏が俺と友也の関係を知ったなら嫉妬するだろうなとさえ思えるような、そんな時間だった。

数年して、友也が交通事故に遭ったと本人から聞き、驚いて会いに行ったことがある。友也と彼氏の住む県に。彼氏にはもちろん会わなかったのだが、友也は会うと案外元気そうで、あの人懐こい笑顔を見せてくれた。相手の住むその県で、職を見つけて頑張っているようだった。

それから、お互い連絡は粗になった。便りのないのはいい便り、と思っていたところ、更に数年が経ち、また友也から連絡が来た。別れて、東京に戻ってきたのだという。友也は所謂手に職の人なので、新しい仕事を見つけるのは難しくはなかったようだ。

縒りを戻すことはなかった。少なくとも、お互い友達になれそうな関係ではあったのに、何となく連絡を取らず、そのままになった。その頃、世の中の連絡手段は、メールや電話から既にLINEやSNSが主になっていて、アカウントを教え合えばお互い繋がれたのに、何となくそうしなかったことが、その結果になった。流れというものだろうか。固定電話から携帯電話へ、音声通話からメールへ、メールからSNSへ。コミュニケーション手段のプラットフォームがアップデートされる際に、関係を持ち越せずそのままになって縁が切れる人というのは、いるものだ。

友也とのことは、2007年から2008年頃だった。あれからもう20年近く経つ。友也はまだ東京にいるのだろうか。新しい相手を見つけただろうか。コロナは乗り切っただろうか。地方で一次産業に従事している父親の後を継いだかもしれない。いずれにしろ、元気で、あの笑顔を忘れないでいてほしい。

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