付き合い遍歴 その15 複雑なレザーフェチ


この体験を遍歴に含めていいのかどうかは、微妙なところだ。何故なら、期間は2週間ほどとあまりに短く、また、人間的に深く踏み込まず、付き合いと言えたかどうか微妙だからだ。しかし、複数回会って継続的に関係を作れるかどうか模索した存在ゆえ、含めることにする。

その頃より少し前から、アジアのクラバーゲイの間では、fridae(タイポではなくこう綴る。また書き出しは小文字)というサイトで交流するのが流行っていた。通常は異国間での交流が多かったが(『今度そっちの国に行ったら案内してくれる? Or we can do more if you want to? 』等)、たまに日本人同士、そこでやり取りすることもあった。海斗とはそこでやり取りが始まり、まずは一緒に飲もうという話になった。

待ち合わせて、お互いタイプであると暗黙のうちに認識し合ったうえで、南新宿にあった、少し高級な居酒屋に行った。海斗は外資の金融勤めで、主にそこで展開される、邦人と外国人との認識ギャップや、日本企業の「ドメドメした」(注:domesticから来た言葉で、日本人間でしか通じない価値概念を皮肉ってそう言う)ことなどについて話をした。話の内容はどちらかというとネガティブに振れた話が多かったが、海斗にしてみれば、俺がそういう話についてこれるレベルの人間かどうかを測っていたのだろう。その頃俺は例によって転職し、既に外資勤めではなくベンチャーで広報をしていたのだが、俺はそのインタビューで合格点を得て、次回も会おうということになった。

海斗の実家は、都内の超一等地にあったのだと言う。そこの大規模区画開発で、土地を譲るのと引き換えに、タワーマンションの一室をデベロッパーからあてがわれて持っているのだそうだ。都内でprestigiousかつ有名なタワーマンションというと、十指に挙がるような所だ。その部屋自体は親が使っているが、海斗は職場が近所なこともあって鍵を持っているので、そこのルーフトップに行こうという話になった。

都会の光景が眼下に広がるルーフトップからの眺めは、噂に違わぬステータス性を持ったロケーションだった。夕暮れ時になり、人けもなくセキュリティーカメラの死角になった場所で、我々は行為した。海斗はタイトなレザーパンツを穿いていた。それを脱がそうとしたのだが、海斗は脱ぐことを拒み、フロントジップだけを開けるに留まった。場所が場所だけに躊躇したというよりは、そういうフェチなのだろう。

それからも時折、電話がかかってきたり、食事をしたりした。本社とのタイムラグの関係で突拍子もないスケジュールで働かねばならない状況がたびたびあること、その職での収入はとてもいいが、職場の同僚は皆どこかしら精神を病んでおり、皆数千万円(2000年代半ば過ぎ当時)の年収でもって数年間死ぬ気で働くだけ働いて金を貯めたらjob hoppingをするつもりでそこにいて、誰も愛社精神など持ってもいないし、同僚同士の結びつきも希薄だが、妙なチームとしての一体感は恣意的に醸成されていることなど。聞くだけでも嫌気が差す職場環境についての話を、自虐半分自慢半分で海斗は語った。

ある平日の深夜。1時過ぎ頃だったと思う。「これからそっちに行く」と連絡があって、1時間ほどして、海斗はタクシーに乗って俺の部屋に来た。そこで問題が2つ生じた。1つは到着時に泥酔状態だったこと。そしてもう1つは、泥酔状態で俺の隣室のチャイムを午前2時過ぎにしつこく鳴らして騒いだことだ。とりあえず俺の部屋に海斗を引き込んで寝せた。レザーパンツを穿いていて、ここでも脱ぐのを嫌がったので、そのまま。隣室には、翌日詫びを入れておいた。

海斗のレザーパンツフェチには今後も付き合うのは難しいと思ったこと、隣室に迷惑をかけたのがショックだったこと、そしてその労働環境での精神状態が付き合うには難しいだろうことを全て併せ考えて、海斗とは深入りする前に手を引くべきと結論し、この関係はここまでとなった。

泥酔で俺の所に来たあの出来事は、何かしら助けを求めているようにも感じられた。「自分のこの境遇を救ってほしい、頼る相手がほしい」という心境の表れではなかったか。しかし俺は、それには応えられなかった。日が浅く、そこまで責任を取るまでの関係ではなかったというのもあるし、もし深い関係になっていたとしても、あそこに嵌った人を救える人は、そういないだろう。

海斗との関係を終えて数年でリーマンショックが来たのだが、そこで海斗はどうしたのだろうか。浅い接触で、既に他人事ながら、少し気に掛かった。

(『その16 納得づくの二号』へ»