正夫と別れて後、引っ越した。引っ越し先は友人達とルームシェアする形のマンションで、新宿区内にあった。初勤めの会社での仕事は続いていたが、徹底的に合理的であろうとした俺は、情動を重んじ媚びる者だけを重用し、会社の貢献は残業の長さに比例すると思い込んでいる気分屋のワンマン社長からよく思われておらず、突然その一存により一方的に解雇された。それからは、再就職するまで少し休んで無職生活を半年ほどした。
セックス依存はまだまだ続いていた。この辺りの期間は自分史の中で一番性的に奔放活発だったと思う。複数の有料ハッテン場のサクラとして、しょっちゅう招かれてはタダで遊んだ。同じ頃、アンダーウェアで飲む+バックスペースであわよくば的なバーが新宿二丁目にオープンし、そこの当時のオーナーに気に入られて、こちらでは飲み代をタダにしてもらえて、入り浸った。酒池肉林とはこのことだ。
そのバーに来ていた客の弘人と付き合うことにしたのは、勢いだった。ドラァグクイーンをやっていたこともあるという弘人は、その過去を少し気にしていたようではあったが、バーのマスターが俺を指して「そんなこと気にするような人じゃないから」と後押しがあり、付き合うようになった。
弘人のことで腑に落ちなかったのは、それまで俺が相手と付き合うにあたって必須と考えていた基礎情報が与えられてこなかったことだ。
まず、住んでいる所が分からなかった。確か神奈川の海沿いの地域に住んでいて、都内には車で出掛けてくるということだけが俺の知っていることだった。結局、最後まで住所を教えられることはなかったし、弘人の家には一回も行ったことがなかったうえに、家は疎か地元へ遊びに来いとも誘われることはなかった。
弘人が都内に出てくる時は車で来ていて、弘人の母親のだったり、本人のだったりしたが、いずれも輸入車だった。弘人の仕事は都内でサービス系施設のコンシェルジュ的なことをやっている(らしい)ことを知ったが、いくら施設が高級だとしてもその仕事の給与で割に合うような車ではなかった。しかし、それ以上を尋ねようにも、そもそもまず、尋ねてもいいような空気がないのだ。
学歴だのキャリアだのについては、俺は特にそれで相手を判断することはないので、付き合いの判断材料として必須な情報ではないにしても、付き合っていれば「学生時代はどこどこにいて」とか、「前職では◯◯をしてたんだけどその時に」などと、エピソードとして自然語られるものだと思っていた。が、そういう話もなし。
弘人はただただ今、そこにいるだけの人物で、過去が語られず、もちろん悪いとか怪しいとかの要素はないにしろ、人として関係を深めていこうと思って接する俺としては、不可解だった。
ドラァグクイーンとしての活動も、DQ名は知っていたが、どんな風だったのか、どこのクラブに出ていたのか等の詳述はなかった。2000年台初頭当時のことだ。既にインターネットは一般化してきていて、個人ホームページも色々あったが、今のようにちょっと検索すればマイナーな人の情報であっても直ちに詳細が得られるような状況ではなく、調べようもなかった。調べようがなくても、当時俺はクラブに行ったり、時にはゴーゴーとして出演したりもしていて、ゲイクラブのコミュニティー内でネットワークはあり、多少名の知れたクイーンならすぐ知れるはずだったが、俺はその名を聞いたことがなかった。
正体が釈然としない中、弘人と週一位で会いはしたが、連絡も会う約束のみ位。バリアを張った姿勢を考えると、他愛のない話をするために電話をしたり、メールしたりする気には今ひとつなれなかった。
そして、普段はもちろん男の格好の弘人だったが、ふと所作の端に見せるクイーンとしてのたおやかさが、相手には肉体的男らしさを求める俺からすると、会うことを求める気持ちにブレーキをかける。顔立ちも男らしいというよりはどちらかというと公家顔の系統で、線が細かった。笑顔は愛らしかったが。
関係を深化し得ないことにフラストレーションを感じ、その一方で肉体的接触について消極的な気分にもなって、この付き合いにウェイトを置くことを諦めつつある俺の胸中を、弘人は察していたようだ。ある夜、弘人が車で俺を家まで送り届ける最中に、二人で穏やかに話し、友人関係でいようということになり、関係は合意の上で発展的解消となった。肉体的接触の機会の少なさを、弘人は詫びたが、俺としては「結局深入りする間柄ではなかったな」と思うだけで、この解消はスムーズだった。穏やかな気持ちで男との付き合いを終えたのは、これが初めてだった。期間にして2、3ヶ月位の短さだった。
その後、インターネットはさらに普及・進化し、2000年代も後半になってから、mixi流行りの時に弘人とオンライン上で繋がり、さらにもう少し後年になって、別のSNSで他人同士の繋がりもより明確に見えるようになった頃、今度は俺の知り合い(当時)が弘人と付き合うようになったのをそこで知った。その知り合いは弘人のことがよく分からず、好みもはっきり知らないので、家にシャンパーニュを持って行きたいがどんなのがいいか俺に相談してきたのだったが、「弘人は相変わらず自分の素性を付き合う相手に明かさない態度なのだな」と思った。
人としては悪くなく、また趣味もよかった弘人とは車談義で意気投合して、友人関係になってからも数回会っては車について語ったり、ドライブしたりしたのだが、そうした話には多弁であるのに、自分の情報を頑として渡してこない態度が保たれていた。そうなると自然、心理的距離はまた空いてゆくもので、そのうち友人関係としても消滅した。
実は、弘人はやんごとなき血筋をにおわせる節はあったのだが、実のところどうなのか、詳細は判明せずじまいだ。