付き合い遍歴 その7 勘繰り合い


実を言うと、ここで書く正夫のことは忘れかかっていた。遍歴はこのエピソード以降も続くのだが、一通りのエピソードを一旦全部書き終えてから、読み返してみてタイムギャップに気づき、一番最後にこの話を書き足した。その後さらに、付き合った順番を思い返していて、俺の当時の居所の記述から、後に続くエピソード2つと入れ違っていることに思い至り、順番を入れ替えた。正夫と出会った方法も忘れているし、別れた時がどんな瞬間だったかも覚えていない。他の体験の大半が色んな意味で濃かったからだろうか。この体験も、負けず劣らずの要素はあるのだが。

さて、修との5年半に及ぶ付き合いを解消してからしばらくは人と付き合う気もなく、セックスばかりを消費し、それによって俺自身をも消費する日々が続いた。そんななか、正夫と知り合ったのだが、必死に脳内をスキャンしても経緯に関する記憶が出てこない。しかし多分、そうした一過性で求めたセックスがきっかけではなかった気がする。

正夫のことでまず思い浮かぶのは浮気だ。否、浮気ではなく、他での性的接触だ。正夫についてのことでもあり、俺についてのことでもある。何故わざわざ言い直すか。俺の中では、浮気とは文字通り気分が浮ついて他に行くことで、気持ちが動くことを意図していなければ、他との性的接触は単なる生理現象に近いという理解だったからだ。
ではなぜそうした理解でいたか。当時未だ癒えていなかったセックス依存症の自己行動を正当化するためであり、付き合う相手にもそうしたことがあった場合に自分の中でそれを消化するためだった。

俺は、正夫と付き合っている間はそのことを正夫に隠していたが、他で性的接触を持っていた。そのことを正夫は疑っていて、ある夜、突然俺の部屋にやってきた。正夫の部屋に俺が忘れ物をしたのを届けに来たと言って。

俺はその時、部屋にいた。確か日曜の深夜だったと思う。届け物はさもない日用品で、向こうの部屋に置いておいて使うつもりの物。何故そんな物をわざわざ深夜に届けに来たのだろうと不思議に思ったが、後日、正夫の口から、俺が公園(俺の当時の家から徒歩数分で行ける場所で、そこは夜な夜なゲイの出逢いの場となっていた。所謂ハッテン場)に出かけて行くのを見かけただか聞いただかしたから確かめに来たのだと聞いた。前述のとおり、確かめに来たところで、俺はその時部屋にいて、それは正夫がその目で見た完璧なアリバイだったので、その件はそこで決着がついた。

他人を疑う者ほど、やましいことをしているものだ。正夫は正夫で、夜な夜な出かけて行っていた。物を何でも出しっぱなしにするタイプで、その癖は物的証拠を服のポケットに残していた。

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ある日、正夫の部屋にいて、ちょっと買い物に出かけるために上着を借りた。ポケットに手を入れると、入っている物があって、取り出すと、キシロカインのチューブだった。繰り返し使ってベコベコになり、中身はまだ少し残っている。キシロカインは局所麻酔の外用剤だ。ハードなアナルセックスをする人が痛みを軽減するのによく使う。本来、外傷の痛み止めだが、正夫にその時外傷はなかった。

そして、部屋には亜硝酸アミルの小瓶が転がっていたが、そんなに必要かと思うほど複数あり、部屋に行くたびに目に見えて量が減っていた。(注:当時日本では所持も使用も法規制はかけられておらず、ゲイ向けのバラエティーショップでは安価に売られていて、入手もたやすかった)

俺が他にセックスをしに行くのは、大抵解放感を生じた時だった。なので、正夫と一緒にいて過ごした後、一人帰宅して気楽になった時などに出かけるパターンが多かった。正夫が俺を勘繰って忘れ物を届けに来た日曜の深夜は、まさにそんなタイミングを怪しんだからで、つまりそれは、自分もそうすることが多かったということだ。あとから人に聞いた話では、正夫は自転車で20分弱ほどの距離の俺が行っていたのとは別のハッテン公園によく出没していたらしい。

物的証拠を見た時、俺は特にそれを正夫に問いただしたりはしなかった。その代わり、実態を知りたいと思った。俺が正夫の部屋に泊まるのは週末が多かった。土日を一緒に過ごし、日曜の夜、俺は帰ると言って正夫の部屋を後にし、しかし帰らず、正夫のマンションの部屋の外、共有スペースの死角に少しの間留まり、出かけるのではと様子を窺った。が、その時は正夫は出かけず、今度は俺が空振りした。留まった時間が短かった、あるいは時間がまだ早かったのかもしれない。

正夫はそんな裏を持ちながらも、基本的には気のいい奴だった。会うペースも、一緒に眠るのも、食事をするのもストレスを感じなかった。一緒にアメリカ西海岸や海外のビーチリゾートに旅行にも行った。上で触れたような隠れた行状を覆い隠すような、素晴らしい笑顔の持ち主だった。

そんな化かし合いは長くも続かず、すれ違いの原因さえ忘れてしまったが、俺は正夫と別れた。その後俺は引っ越して、徘徊していた公園からは物理的に遠くなり、行かなくなった。

正夫については後日談がある。別れて何年もして、俺がさらに付き合う相手を何人か経た頃のことだ。俺の知り合いと正夫が付き合っているのを、その知り合いから聞いた。俺は正夫のことなどすっかり忘れていて、その話で「ああそういえばいたな」と思い出した位だ。

言葉の端々に自慢と毒を含ませずにはしゃべることのできない、ちょっと意地悪で自己顕示欲の強い性分のその知り合いは、今自分が正夫といることは俺の嫉妬心を刺激するだろうとの目論見で、そのことを俺に話してきたのだが、俺としては忘れ去っていた過去の男のことを聞かされても、嫉妬は疎か、何の感情も呼び起こされなかった。意地悪心に一矢報いてやろうと「キシロカイン持ち歩いてるかもよ? デートが終わった日の夜には気をつけて」とのセリフが胸中に浮かんだが、言わないでおいてやったのは、俺の優しさだ。

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