付き合い遍歴 その5 寝小便


宗成と出逢ったのは、Zip Barのカウンター席でだった(Zip Barについてはその2のこちらを参照)。冬か、春先頃だったと思う。感じが良く、くりくりした二重の目が印象的な、小柄な男だった。会ったその日に泊まりに来、次の週末にも来て、そこからそのまま付き合いが始まった。

宗成は、東京の男ではなかった。勤め人で、初めて会った時は出張で大阪から仕事で来ていたのだったが、元々東京の郊外に実家があり、出会った当初は大阪勤務だったが東京に帰ってくることが決まっていて、それまで週一では必ず東京に来るという境遇。となると、いずれは遠距離でなくなるし、大阪勤務の間も会うペースとしては東京に住んでいようがいなかろうが変わらないと思え、実際、さしたる支障は生じなかった。

俺はまだ学生だった。夏休みに入ると、一人暮らしをしている大阪の宗成の家に行った。宗成は数週間後には東京へ越す予定で、その引越しの手伝いも兼ねてだ。しかしいざ宗成の住んでいる所に行こうと住所を聞いて、俺は驚いた。西成だというのだ。当時俺の中で西成といえばあいりん地区に代表されるドヤ街のイメージだった。

ともあれ、俺は宗成の家に行った。宗成は会社に行って日中は留守をしていて、俺は宗成が飼っていた猫と過ごし(俺は猫があまり得意ではないが、大人しい猫で、すれ違いざまに体を擦り付けてくるなど、馴れた様子だった)、スーパー玉出で買い物をしたりした。そこにいるとは俺の両親には告げておらず、夏休みの間帰省せず東京にいることにしておいた。大阪にいるなどと言ったら訳を必ず聞かれ、家に召喚されるに決まっていたからだ。

そうやって過ごしつつも時々ふと我に返ると、西成という言葉から来るイメージはやはり払拭し難く、なぜ自分は「こんな」土地にいるのか、不思議だとは思った。俺の実家は同じ大阪にあったのだが、──これは全く自慢ではなく客観事実として書くが──超のつく高級住宅街にあって、環境があまりにも隔たっていたからだ。実際はというと、宗成の部屋は極普通の単身者が主に住む賃貸マンションの一室で、マンションが建っている地域の雰囲気も普通。特にやさぐれた感じではなかった。

数週間が経ち、いざ東京への引っ越し移動ということになった。猫はというと、友人に託したと。「猫は家につく」というから、それでも平気なのだろうなとは思った一方、寂しいのサの字も言わない宗成の割り切りぶりが、不思議ではあった。

宗成の大阪の部屋を後にし、送りの荷物以外の身廻品を積み込んだ宗成の小型車を交代で運転して、東京へ向かった。宗成は、とりあえずは東京の郊外の市にある宗成の実家に帰り、そこから都心の職場へ通勤するということだった。

こうして、俺と宗成とは同じ東京にいることになった。俺は世田谷に住んでいて、郊外にある宗成の実家よりも圧倒的に都心に近かった。宗成は実家に帰る代わりに、うちに寝泊まりすることが多くなり、そのうち宗成が実家に帰るのは週一で着る物を取りに行く程度になり、次第に宗成の荷物は増えた。半同棲状態だ。

俺は学生、宗成は会社員という違いから、俺の方が家にいる時間は圧倒的に長かった。元は俺の部屋ということもあって、家事はいきおい、俺のほぼ専業という形になった。それは話し合って決めたことではない。何となく、なし崩し的にそうなった。食事を作っても、食費をもらう訳でもない。家賃や光熱費を折半する訳でもない。洗濯掃除は俺が空き時間にやった。

しかし、学生の俺とて、時間を持て余している訳ではなかった。二丁目やクラブに遊びに行きはしていたものの、司法試験を志しており、大学の授業には真面目に出て、授業のない時間は勉強に充てていた。次第に「何故俺ばかりがこんな負担を?」と理不尽に思うことが募ってストレスとなり、ストレスは宗成への怒りとなった。

ある時、この負担の偏りはフェアじゃないと怒った。宗成は宗成で転勤後、残業も増えて環境の変化に適応するのに大変ではあったと思うが、しかしあまりに度が過ぎていると、俺は怒った。

するとその夜のことだ。寝ていると、マットレスに濡れた感触がして目が覚めた。何と、宗成が寝小便をしたのだ。急激な環境変化に対するストレスと、俺が怒ったこととのショックが重なってそうさせたのだろう。

翌朝、宗成は仕事で家を出るのが早かった。家を出る時に謝りの言葉はあったが、後始末は俺がする他なかった。幸い、濡れたのは使っていたソファーベッドの上に敷く薄型のマットレスに留まり、小便はソファーベッドには達しておらず、そのマットレスを洗えば済むものではあった。が、人の小便で汚れたマットレスを洗いながら、俺は屈辱感でいっぱいになった。宗成の所行の数々に、「俺は利用されている、お坊ちゃんだと思って」とさえ感じた。

耐えきれず、出て行ってもらった。そこでこの関係は終わった。

それからかなり年月が経って、俺がさらに数人との付き合いを経た後、独り身で性的に遊び回っていた頃のこと。とある有料ハッテン場で、宗成と鉢合わせしたことがある。「こんな所で会うなんてショック」とその時宗成は言ったが、「こんな所」にお前も来てるんじゃないか、と思った。気まずさから宗成はその場を後にしたが、俺はその場に留まった。出くわしたことについても、久しぶりに宗成と会ったことについても、その場で何某かの感慨が浮かんだ訳でもなく、その体験は、当時の俺にとっては、顔と名前が一致する知り合いがただそこに居合わせた、という限度でしかなかった。それきり、宗成と顔を合わせることはなかった。

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