付き合い遍歴 その2 お調子者の涙


初めての灼け付くような恋に敗れて数ヶ月。また俺は雑誌の通信欄を利用して、元哉と会った。元哉とは会ってすぐにお互いタイプではないと判明し、付き合わなかったのだが、とても感じの良い人で、友達として繋がることができた。

当時バブル期の不動産屋で羽振りの良かった元哉は、20代半ばで23区内に分譲マンションを持っていた。ある日、元哉が自宅でクリスマスパーティーをするので来ないかと誘ってくれて、俺は赴いた。それまでゲイの友達はおらず、当然ゲイの集まるパーティーなど行ったこともなく、それ故にどんな格好をしていこうかと考えても、ゲイの間ではカジュアルスタイルが一般的なのだとは知りもしなかった。それで、プライベートとはいえパーティーだからと、ブラックパンツ、クリスマスカラーだからと緑のシャツ、白地に緑のストライプのドレッシーなベストという出立ちで参加した。

元哉のマンションには、既に10数人はいただろうか。その中の1人が賢太郎だった。賢太郎は当時流行りの渋カジスタイルで、さらさらの髪をしていて、ひと際陽気に振る舞っていた。場違いな格好をしてきてしまったなと気後れしている俺を見るなり、賢太郎は率先して俺をパーティーメンバーに招き入れてくれた。

賢太郎は、彼氏の二朗と来ていた。彼氏の二朗は人あたりのいい、ゲイ受けする素朴でかわいらしい顔をした(今で言うならブサカワか)、やはりカジュアルスタイルの似合う子で、賢太郎に比べるとおとなしくはあったが、賢太郎と二朗はお似合いに思えた。

数時間を元哉のマンションで過ごし、元哉を含むパーティーの一団は新宿二丁目に飲みに出ようということになり、俺も行くことにして、そこからタクシーに分乗し、二丁目に向かった。冬の夜、外に出た賢太郎は、B-3ジャケットを着ていて、男っぽくてかっこいいなと思った。

二丁目は、それまでどんな所だろうかと通りかかって通りの様子を眺めたことはあった。しかし、バーに入ったことはなかった。一人ではなかなか敷居が高かった。

一団は、まずはここ、と、Zip Barに入った。入口を入ってカウンターがあり、奥はダンスフロアーになっていて、そこを見下ろすようにDJスペースが設えられていた。Zip Barは後に、所謂トレンディードラマ『同窓会』の舞台にもなった、人気のバーだった。尤も、ドラマではそこでロケをしたのではなく、Zip Barに似せたセットが作られたのだったが。

おしゃれな雰囲気、大きな音楽、多くのゲイがひしめき合う活気に圧倒された。が、親切なパーティー主の元哉と陽気な賢太郎の仲立ちで、俺はそこにすぐ馴染むことができた。その後何軒か、他のバーを回ったと思う。俺は賢太郎と連絡先を交換して、その夜は一人自宅に帰った。俺は国分寺から世田谷のマンションに転居していた。

パーティーメンバーとは飲み仲間になった。週末は言うに及ばず、平日も飲みに行った。飲みに行けば必ず誰かがいた。以降、俺の男付き合いは不運が続くが、ゲイの遊び友達が一挙に増えてすんなり溶け込むことのできたこれは、俺の成功体験となり、ゲイコミュニティーに対して抵抗感やネガティブな先入観なく行動できる礎となった。

賢太郎の俺に対する好意に気づいたのは、いつ頃だったろうか。気づけば賢太郎の彼氏の二朗はいない時があり、そんな時、他の飲み仲間がいても、賢太郎は必ず俺の隣にいた。

こんなこともあった。賢太郎がある日、二朗の前に賢太郎が付き合っていた大介という男を含めて一緒に遊ばないかと、俺を誘った。数日後のある夜、車で出かけた。誰の車だったかは覚えていない。誰かの運転で車を出して、賢太郎と俺は同乗し、その大介を後でピックアップした。車に大介が乗り込んでき、顔を見てハッと驚いた。が、ともかく、すぐ打ち解けて、皆でボーリングをした後、大介の家に行ってみんなで過ごした。

翌朝、俺が大学に行くと、大学の同級生の間で大騒ぎになっていた。大介と俺が車に乗り込むところを見たのだと。大介とは、当時一世を風靡していたトレンディー俳優だったからだ。「なんで大介さん知ってるの⁈」と興奮している同級生から聞かれて、俺は曖昧に答えてその場をやり過ごしてからも、数度、大介とは遊んだ。

話が逸れたが、ほどなくして賢太郎は、俺の家に遊びに来るようになった。一人で。まだその時点ではセックスはしていなかった。当然、賢太郎の彼氏である二朗のことが俺には気になっていたからだ。当時の俺には、まだそんな貞操概念があった。

ある夜、俺の部屋の固定電話を借り、賢太郎は二朗に電話した。90年代初頭に携帯電話を持っている者はいなかった。賢太郎はとにかくいつもハイテンションで喋り好き、社交好き。よくうちの電話を借りては誰かに連絡していた。この夜かけた電話の相手は二朗だった。賢太郎は二朗に、今夜は俺の所に泊まっていく、と告げた。当然話は拗れているようだったが、賢太郎の決意は堅く、二朗は結局事態を飲むしかなく、諦観して、電話の最後に俺に替わってくれと賢太郎に頼み、電話口に出た俺に「賢太郎をよろしくね」と言った。俺がそれに何と返したか、覚えていない。

そこから賢太郎との付き合いが始まった。賢太郎はプロのスポーツコーチで、所属のスポーツスクールに一緒に行ったり(俺はそのスポーツに興味がないので本当に一緒に行っただけでプレイはしなかった)、二丁目に飲みに出たりした。二朗と出くわすと気まずいが、二朗は「賢太郎ってそういう人だから」と、平気を装い、他のグループと飲み、素知らぬふりをしていた。

お調子者の賢太郎は、遊び歩くには楽しい人だった。セックスも馬が合った。しかし、常に陽気ハイテンションで、いわばスポーツバカを絵に描いたような男だった。その表層的な有様に、俺は疲れてしまってきていた。俺は親からインテリであれかしと教育されてきていたのが身に染み付いていて、その考えも賢太郎の評価を下げる一因となった。人好き・しゃべり好きな賢太郎は、引き続き、俺の家に来ても始終電話を俺から借りては、友達に電話をしまくっていて、俺がぽつねんとするのにもお構いなしだった。

そんな賢太郎の様子に、気持ちも冷め、セックスも飽きてきた俺は、ある夜、もう終わりにしようと別れ話を自室で持ちかけた。賢太郎は泣いた。まっすぐ俺を見据えて、まるでドラマのように涙が賢太郎の頬を伝った。トレンディードラマのワンシーンのようだなと思った。人の涙を見るのはいつぶりかな、などとも思った。付き合ってきた男の涙を見てそうした冷静な感情しか浮かばないほどに、俺の気持ちは冷め切っていた。これが、数ヶ月の付き合いの終わりだった。

それからも時たま、バーで賢太郎と顔を合わせる時はあったが、賢太郎は無視こそしないが、よそよそしい挨拶だけですぐ他の人とのおしゃべりに興じて自分を立て直そうとしているようだったし、実際、立ち直りも早い様子だった。俺は俺で、気持ちが冷めて別れたのだから、このことは自分の中で急速に過去になって行き、バーでの友達付き合いやら、他の男の品定めやらに忙しかった。ゲイクラブができて、踊りに行くようになったのもこの頃だ。

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