付き合い遍歴 その1 身を焦がす激情に踊る


付き合いにも至らないような未熟な体験をして以降、大学に入るまでは大人しくしていた。多浪の後、東京の私大に入った俺は、早速出逢いを求めた。その頃出逢いといえば、所謂ハッテン場(ゲイがその場限りの性的接触を求めて集まる場)か、ゲイバーかといったところだったが、もう一つ、有力な手段があった。それは、ゲイ雑誌の通信欄だ。

通信欄には、出逢いを求める読者のメッセージが載っていて、読者は気になる人に雑誌社経由で手紙を回送してもらい接触するという仲介システムで、利用方法はこんな感じだ。
まず、募る人は雑誌に付いている投稿用の原稿用紙にアピール文を書き、出会いの目的や自分の属するタイプをアイコンで3つほど選んで雑誌社に送る。すると締切翌月号に、そのメッセージが載る。メッセージはもちろん匿名で掲載され、地域ごとに分けられ、番号が振られている。
読者はメッセージを読んで、気になった人に自己紹介の手紙を書き、多くは掲載メッセージのリクエストに応えて写真を同封し、住所と宛名が空で返信用切手を貼った封筒に入れる。雑誌に付いている回送券に該当メッセージの番号を書いて切り抜き(この回送券利用が雑誌を購入したことの証左になる=雑誌社にとっては購買促進の手段)、先ほどの手紙と、手数料分の切手を同封して、雑誌社に送る。雑誌社は、届いた手紙を回送券の番号のメッセージ主宛に送る、というものだ。

俺は早速、大学に入った春に雑誌を買って、とある良さげな投稿に宛てて手紙を送った。手紙には電話番号を書いておいた。

それから数日して、誠司と俺は会った。書いておいた俺の電話番号宛に電話があったのか、それとも返事の手紙が来てそれに誠司の電話番号が書いてあってこちらから電話したのかは覚えていないが、ともかく最初の接触は電話だったと思う。落ち着いた声の丁寧な人というのが、誠司の第一印象だ。そしてお互い悪からず思い、待ち合わせて会った。

確か年は3、4歳ほどの開きだったが、俺は多浪で大学に入りたてだから、向こうはもう社会人何年目かだった。俺が受験に失敗した某有名大卒で、外資の証券会社でアナリストをしていて、英語もスペイン語もできるという人だった。

誠司が都心寄りに住んでおり、俺は東京の土地勘がなかったうえに、大学が決まって慌てて部屋を探したせいで物件が都心に見つからず、国分寺(新宿から中央線で30分かかる郊外)に住んでいたので、必然、会うのは誠司の家だった。結局付き合いの間、誠司は俺の部屋には一度も来なかった。都心の求心力というのはそういうものだ。

初めて付き合いらしい付き合いをして、俺の気持ちは燃え上がった。狂おしいほどに。四六時中誠司のことを考え、欲し、全てのラブソングが胸にこたえた。熱に浮かされたような毎日を過ごした。

毒親によるコントロールから解かれ、初めてといえる恋愛対象を得て、若いエネルギーも有り余り、しかも愛情に飢えており必死だったというと、クラッシュは早晩目に見えていた。その只中にあっては、欲を伴う恋愛感情に駆られる他なかった。他の世界を知らなかった。

誠司は社会人で順調なキャリアも積み始め、バブルの頃にあっての証券会社勤めで鼻息も荒く上昇志向、しかも都心寄り住みというと、俺と付き合ってはいても、そんなことは誠司の世界の一角にしか過ぎなかっただろう。

外国本社とのタイムラグに合わせ、俺が泊まりに行った明けの早朝に届いたファックスで資料を読み込んだりする生活の一方で、世間知らずの上京学生一年目がいっぱしに生意気なことを言ったりしつつ全精力を傾けてくる俺のことは、持て余し気味だったことだろう。

誠司の多忙もあって、週末に会う約束が実現したりしなかったりということを繰り返して、夏休みがやってくる頃、俺は長く一緒にいられることを期待していた。が、誠司の口から予想外の計画を聞いた。3週間の休みはスペインに行くと言う。1人でだ。それまでも一緒にいる時に在邦西人と出くわして、流暢なスペイン語で話しているのを聞いてはいたから、そうする計画があっても不思議ではなかったが(確か大学在学中に短期留学したのではなかったか)、一緒にいる時間が増えるという俺の期待は裏切られた。

負けん気の強い俺は、そこで咄嗟に対抗策に出た。俺は俺で、一人旅をすることにしたのだ。誠司の夏休みと時期はずれていたと思うが、俺も3週間、ギリシャに出かけた。そうでもしなければ、じりじりしながら時間を持て余しただろうから。

旅行から帰ってきてから誠司と会ったか、記憶がない。数度会ったような気もするが、そのまま会わず仕舞いだったような気もする。いずれにせよ、これは続けていけないと悟って、別れた。別れを告げたのは会ってだったか、電話でだったのかも覚えていないし、そもそもきっちり別れの言葉を告げて終えたのか、フェードアウトしたのかも忘れた。しかし、半年ほどの、甘美で醜悪な初めての関係は、無惨に終わったのだった。

最初の本格的な付き合いだった故に印象は強烈で、まだ本名をフルネームで覚えていたので、ネットも浸透した2010年代後半に、名前を検索してみたことがある。独立して、投資会社の役員になっていた。歳は相応に取ってはいても、如何にも優秀で格好のいい印象はそのままだった。今から思えば、上京したてで気が強いばかりの青二才のこの俺と、よく半年も付き合ってくれたものだと思う。

確か、会社の同僚の女友達との飲み会にも、誠司と時間を共有することをせがむ俺を同席させてくれたことがあった。カムアウトするLGBTQはほとんどいないに等しかった時代にあって、相当な努力だったことと思う。誠司には、無理をかけた。至らずだらけの俺にとって、最初に本格的に付き合った人として、俺にとってはラッキーだったが、誠司にとっては外れくじだったろう。誠司の今後の多幸を祈る。

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