付き合い遍歴 その9 グッバイ・イン・ニューヨーク


ニューヨークでの写真は、帰国後しばらくして、健吾曰く「休み明けで忙しく、スケジュールがしばらく合わないと思うので」という名目で、バーのママ経由で渡されてきたが、俺から健吾には直接連絡もせず、会いもしなかった。

その後、ママから話を聞かされた。健吾には、長年付き合っている彼氏がいるのだと。健吾曰く、俺の「入れ込み具合」を見て(そんなに『入れ込んで』いたつもりはなかったが、領域に踏み込めない状態を何とか打開しようとしていた姿勢がそう見えたのだろうか)、「このことは(俺に)話さない方がいいのかな」と、繰り返しママに相談していたのだそうだ。なるほど、旅行先でツーショットの写真も撮らない訳だ。
それを聞いて、もちろん腹が立った。そのことを知りつつ秘匿していたママに対してもだが、一義的にはもちろん健吾に対してだ。

そこからさらに数年し、俺はさらにいくつかの付き合いをして後、SNS時代が到来した。mixiブームだ。mixiで健吾は俺を見つけてきて、マイミクになった(懐かしい言葉だ)。俺も、そんな奴と繋がるとはお人よしだったなと思う。繋がってから、何となくだが常に上から目線で嫌味な物言いをする健吾に、ああこいつの本性はここか、と判断するに至った。常に自分が事態を俯瞰する立場で物を言う、「実はこうなんだけどな」という腹にイチモツの鼻につく態度が、健吾のスタイルなのだ。

こういう輩にはこちらも嫌味で返してやろうと、妙な対抗心がうずいた。当てこすりの言葉が何往復かあって、結局オンライン上の繋がりも解消した。二股事件から何年かしてからのこととはいえ、繋がるべきではなかったと後悔した。

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