付き合い遍歴 その6 遠距離の果てに


「ちょっと修のことでJOEには言っておかないといけないことがある」
と、正行から俺が話を聞いたのは、俺が東京に戻ってきて初めての社会人生活を始めた頃、1997年のことだ。俺はちょうど30になっていた。俺は杉並のワンルームマンションに住んでいた。もう親の脛かじりをできる状況ではなかったし、金で首根っこを押さえつけようとする親から自由になりたくて自立したということもある。俺はお坊ちゃんから、ごく普通の社会人になっていた。

話を戻す。正行が言うには、修はアルコール依存が進んでいて始終飲んでいる、と。そして修はクラブ好きが高じてDJの真似事のようなことを始め、ハウスミュージックのレコードを買い集めているが(そのこと自体は知っていた)、仕事を辞めたままで、買うのに借金をしているらしい、とも。

おまけに、修はセフレを作っていて、しかしホテルに行く金がないので、複数部屋のあるマンションに住んでいた正行に「部屋に(その男と)泊まらせてくれ」と頼んできたことも告げられた。正行は俺との信頼関係からそれを断ったところ、それきり修からは連絡がなくなったらしい。

これらの事は正行以外の友人からも聞かれた。正行の口からは「もう付き合わない方がいい」との文句は出てこなかったが、別れるしかないなと俺は判断した。正行をはじめその時の友人には、ありのままを伝えてきてくれて、感謝している。

ある週末の夜。修が俺の部屋に泊まりにきた時、俺は正行に聞いたことを修に問い正した。話の間中、俺は冷静な口調を保った。責めたところで事態は変わらないし、責めればかえって真実を引き出しにくくなると考えたからだ。

修はその全てを認めた。借金について具体的に聞くと、複数借りている中で一番返済が切迫している借入としては、その月末にカードの請求が引き落とされることになっているが15万ほど足りないということだった。俺は引っ越ししてきて就職したてで金に余裕はなかったが、手元にあった15万を渡した。手切金のつもりだった。

ひと通りの話が済むと、終電もとうに過ぎた時刻になっていた。修は泣きじゃくっていた。泣きじゃくる修は、アル中で借金持ちで下半身のだらしないどこかの知らない男ではなく、俺の知っている、正直で純朴な修だった。

その涙は俺に隠し事をしてきたことに対する悔悟ではなかったと、俺は思う。隠されてきた真実が二人の間で明らかになったことで俺との関係は終わりが決定づけられ、そしてその終わりは長年修なりに頑張ってきたことからの解放だったのだろう。修は根の優しい人間だった。今にして思うに、優しいが故に、年月を経て、気持ちも自分のライフスタイルももう俺からは離れてしまったことを俺に言えないまま抱え、自身を蝕んできてしまっていたのではないか。涙は「今まで言えなくてごめんなさい、でももう続けられない」という宣命が感情を伴って顕現したものだったのではないか、と。

泣きながら修は言った。
「帰ります」
「こんな時間にどうやって」
「歩いて帰ります」
「歩いて帰れる距離じゃないでしょう」
修の家は、俺の家から直線距離でも15kmほど離れていた。タクシーを拾う金も、借金をしている位だから修にはなかった。俺もその金まで出す気はなかった。修をなだめ、気持ちを落ち着かせるため、ホットミルクを飲ませた。一緒のベッドに寝て、翌朝早く、修は俺の部屋を出ていった。
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