渋谷区同性カップル証明制度に思う


LGBTの間だけでなく、全国ニュースでも大きく取り上げられた渋谷区同性カップル証明制度の条例案提出。第一歩として歓迎されるべきものと思う。
特に法的効力がないとしても、公営住宅入居とか、病気の際の手術の同意とか、そうした場面では役立つこともあるだろう。(もっとも、渋谷区で公営住宅に入る同性カップルがどれくらいいるのかとかいう実態的な可能性からいうと、可能性は低いだろうけれども、拒絶されていたことに認証が与えられて可能になるというのは意義が大きい)

アメリカでの同性カップルの権利獲得の経緯からして、最初ニューヨークでそうした認証制度が始まり、それが口火を切る形となって現在過半数の州で同性婚が認められることとなったということを見ると、渋谷区の動きは日本でも権利が法的に認められてゆくきっかけとなる可能性は大いにある。

いずれにせよ、まだ条例案提出へという区長の会見があった段階で、これが可決されて4月1日から施行されて初めて第一歩な訳だが、条例案が通る可能性は低くはないのだろう。

ところで、その利用場面を思い描く時に気になるのは、例えば公的な証明があれば扶養家族手当を支給しますよという会社がでてきたとして、では区で証明書を取って会社に提出するLGBTがどこまでいるのか、という実態的利用におけるLGBT当事者の姿勢の問題だ。つまり、どこまで自分達の関係をオープンにするのかということ。

権利が認められてゆくのはいいですね、これがもっと前進するきかけとなればいいですね、という声はLGBT当事者から当然よく聞かれる。しかし、ではあなた達は自分達のことを公表して生きているのですか? その権利を大いに利用できると思いますか?と問うと、とたんに声は小さくなる。
職場の人間や親兄弟親戚に対して自分達の性的指向を公にし、かつパートナーがいることも明らかにすることができていない状態で、公的証明書があったとして、その証明書を提出する行為ができるんだろうか? 身辺での社会的生活においてクローゼットな(クローズドな)状態で、より大きな社会に対して自分達の属性を公にする用意があるんだろうか?ということなのだが。

日本のLGBTをめぐる状況が未成熟で、未だにキワモノ扱いされて笑いを取ってハイおしまいという状況は、女装タレントやニューハーフ(そういう人達の存在も大いに結構だが)といった存在しか思い浮かばないという社会一般の人への認知度の問題でもある。
社会的身分も服装も所作も何ら異性愛者と変わらない「普通の」LGBTがもっと表に出てきて声を上げて初めて、事態は前進するのではないか。一般社会の人々にもゲイやレズビアンといった人々は周りに当たり前にいるということが実感されなければ、世間一般には「何故そんな『遠い存在の』『少数の』『特殊な』(と思われている)人のために制度が必要なのか」という疑問は解消されにくい。出ていこう、「普通の」LGBT!rainbow