東京レインボープライド2024 ーNot My Prideという違和感ー


前日

当初、東京レインボープライドを歩く気が失せかけていた。ここ数年は毎回言っている気がする「大同小異」の心持ちで行こうかと思っていても、LGBTにかこつけた企業宣伝見本市のような姿勢にうんざりしていたから。なので、どうしてもプライドの運営に対する見方は厳しくなる。ここにはそういうことが多く記述される。

今回、パレード(そもそもいつまでお祭り気分のパレードという言葉を使うのだろう。大抵他国はプライドウォークだと思う)のグループ数は60。ずいぶん増えたが、LVMHなど、当初から一般参加を締め出しているグループなどもあった。事前抽選でMarrige For Allのグループで募集していたオンライン抽選には外れ(主要メンバーは当日しっかりグループに入っていたが、そもそも抽選にはどこにもその方法が公正であることが書かれていない)、パレード前日の4/20(土)の受付でエントリーすることにした。なお、強風により前日4/20(金)は全イベントが中止だった。

今年は従来の代々木公園側から渋谷口へゲート設置場所へ変更された
今年は従来の代々木公園側から渋谷口へゲート設置場所へ変更された

ゲート横のパレード受付に11時頃並んでエントリー。その後会場を見てまわった。ブースの数も増えていたが、X(ツイッター)では生活に密着するはずの法律系ブースなどが端に追いやられていいはずがない、との指摘があった。そのとおりだと思う。派手な企業宣伝ばかりが目立つようになった。実行委員の商業主義がそのまま現れている。

それは、メインステージの設置方法にも顕現していて、会場ブース側からは不可視のシートを貼ったパーティションで覆われ、様子をうかがうことはできない。これは大きな問題だと思う。ステージでの訴えることが来場者と全く分断されていて、来場者はただただ企業宣伝を見て歩くだけ。ゲストアーティストのライブパフォーマンス等の際に混乱を招かないよう会場整理する必要があるとか、出演者の肖像権やプライバシーを守る必要があったとしても、スピーカーを招いての話など、来場者に届かないのなら招聘する意義が大変薄れる。上記のゲート隣にはスクリーンを搭載したトラックも停められていて、地方でのプライド実行者からのメッセージが流れていたが、ステージの様子をアドレスする方法があってもよかったのに(一部当日パフォーマンスでは流れていたものもあるよう)。それに、ステージの様子が来る人から見えないことによって、このSNS全盛の時代にバイラル効果は全く期待できず、世間へのアピールという意義と相反することにもなる。

商業ブースは資金面でパレードを支えるのに必要だったり、賑やかしにはなるとしても、各ブース出展者への場所貸し以外に、公益性のあるノンプロフィットのスペースがないのも奇異。折しも東京でのプライド(と開催当時は言わなかったが)開催は30周年の今年、この節目に、例えばパレードの歴史を振り返るパネル展示スペースなどは、あってもいいどころか、むしろ当然だったのではないか。そうした視点がすっぽり抜け落ちている点、いかにも今の実行委員会らしい。

とはいえ、より一般化した親しみやすさという点では、見知った企業ブースが並ぶ展示は受け入れられやすさに寄与している。来場者も、まちなかに「普通に」いるような風体の人が大半で、ともすると議論の的になるような格好をした人はそれに埋もれてだいぶ少なくなった。もちろん、個人的にはそうした人も受け入れるのがプライドのそれこそインクルーシブな特質としてあってしかるべきとは思う。

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