パートナーじょにおの誕生日を祝って思う


過日、じょにおの37回目の誕生日で、例年の如く花束とシャンパーニュを渡し、食事に行った。うちは割とプレゼントにはこだわらない。こだわらない、というのは、何であってもいいという意味ではなく、誕生プレゼントがあってもなくてもというレベルでこだわらないのだ。
逆に、何かいい物があったら、何でもない日にプレゼント、ということがたまにあるので、世の中一般的に、普段はそう物を買うことがなくても誕生日は奮発して物を贈るというカップルと比べると、日々に均して分割払いなのか、誕生日に一括払いなのか(笑)の違いに過ぎないなのかもしれない。

誕生祝いの花束とシャンパーニュ。
誕生祝いの花束とシャンパーニュ。
花瓶に挿してダイニングテーブルに置く。
花瓶に挿してダイニングテーブルに置く。

今年は花屋と相談して芍薬をメインにあしらった花束を作ってもらった。今まで、少し野暮ったいイメージを持っていたのだが、なかなか華やかでいい。芍薬はものの3、4日であっという間に開いて散り始めた。儚く、贅沢な花だ。

開くと絢爛豪華。
開くと絢爛豪華。
そして花びらを落としてゆく。
そして花びらを落としてゆく。

シャンパーニュはじょにおの好きなメゾンであるDeutzの限定プレステージ・キュヴェHommage à William Deutz Parcelles d’Aÿ 2010を選択。じょにおは好みに合わないと決して無理をして飲まないので、選択には毎年気を遣う。これがどうかかはまた飲んでみてレビューで(としっかり相伴に預かる 笑)。

ここ数年は、祝い事にはディナーでなくランチに出かけることが多い。ディナーだとそれで一日が終わってしまうので、昼間出かけて夜も時間を使えるのと、昼間からというのは、どこか優雅な気分になれるので。行ったレストランのレビューはこちら

さて、物質的なことはこれくらいにして。
じょにおの誕生日を祝うのは9回目。出会った時、じょにおは27だったから、年齢の数字的には10年を経たことになる。多分本人もだろうが、俺にとっては10年も経ったとは思えない。あっという間だった。出会った頃はじょにおは家族にはカムアウトしておらず、しかしほどなくカムアウトして、俺はじょにおの親兄弟公認の仲になり、家族に迎え入れられて、親戚の冠婚葬祭にも一緒に参列するようになった。なお、俺の親との関係は複雑「だった」ので、日頃の俺の話に俺の親の話は出てこない。これについては、よほど暇で暗い話に耐性のある方はサイトのプロフィールにあるダークサイドでも参照されたい。
じょにおは言う。俺と付き合っていなかったら、カミングアウトもせず、ひっそり暮らして、結婚の話が出てきても、のらりくらりかわして生きていただろうと。しかし、今ではオープンで、その点ではストレスフリーであり、俺と共に同性婚人権救済申立の申立人になっている。こうして考えると、俺の存在が人の人生を変えた軌跡として責任重大だし、感慨深い。

うちにはこのブログにもツイッターにも散々挙げているように、愛犬が2頭いる。そのうちの先住犬プットニョスは5歳を超えた。じょにおと一緒にいた半分以上の時間を、犬とともに過ごしたことになる。これもまた、毎日飽きずに犬達との生活を楽しんでいる俺(とじょにお)にとっては、そんなに長いこととは思われない。

ここであまり振り返ると、来年1月のパートナーシップ10周年の時に書くことがなくなるので(笑)、このあたりにしておくが、付き合った1人の人間を10歳の年齢を経るまで見るというのは今までの経験上ないことで、この関係が続く限り、その未経験は未来に延びてゆく。そんな貴重な体験をさせてくれているじょにおに、感謝している。そして、何かと自己犠牲や人間関係の調整のために動きがちなじょにおだが、自分自身の人生を納得の行くように、楽しんでいってほしいと思う。