第7回東京プライドパレード


土曜日は第7回東京プライドパレードに行ってきた。前日に物憂い気分になり、どうしようかと思っていたが、パートナーじょにおからなだめすかされて、(笑)出向く。人の出だしは早くなく、例年の5、6割といった印象。

午前中の会場の様子。
午前中の会場の様子。

しかし、午後にはある程度人も出てきてほっとするが、やはり少な目だったよう。各250人×10台のフロートの参加登録人数がホワイトボードに掲示されてあったところから推計するに、パレード参加は2,200人程度か。いっぱいになったフロートもあった一方で、半数に満たないところもあったようだ。パレードで歩いたあとは閉会まで待たずに会場をあとにしたが、例年ならステージで参加人数を発表するところ、今年はそれがなかったとのこと。警察は出発前に人数をカウントしていたので、警察発表の人数はどこかに出ているかもしれないが、例年でもニュースで取り扱われることが少ないパレードについては、ニュース検索で探してみたが、見つからなかった。

まあそんな寂しい状況はさておき、世の中は多様性という名の下に企業もLGBTサポートへ動いていて、Googleはブースを出していたし、ソフトバンクもブースを出していた他、パレードコース終盤に前を通りがかるアンテナショップ前には、大きなレインボーフラッグが掲げられていた。金融・証券系も、シティーバンク、UBS、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーが協同でブースを出して、ダイバーシティー(多様性)への取り組みをアピール。ブース内の腰掛けて談笑ばかりしている人たちのやる気から見て実効性は疑問ではあるが、それでも企業から日本のLGBTの存在が無視されているよりは、遥かにいい。しかし、こういうのは本国でダイバーシティーの政策があって、それをそのままローカライズせずに(資料などは日本語になってはいたけれども)持ってくる、外資のなげやり統一政策が結果オーライになっているのかな、という気がしなくもなかった。

Googleのうちわ。oの文字が6色レインボーになっている。
Googleのうちわ。oの文字が6色レインボーになっている。
金融系が協同でブースを出していた。
金融系が協同でブースを出していた。

ところで、パレードは今年で7回目。自分が歩いたことのあるのは、初回を除くすべて。テントにはパレードの歴史を紹介するコーナーがあって、ああ、いつの間にか「歴史」なんて言葉が使われるのだなあ、などと思いながら、入ってみてみると、3年前のパレードの様子を収めた雑誌の見開きページのコピーがあって、自分が写っていた。(笑)

何故か一番デカい扱い。俺は歴史!?(笑)
何故か一番デカい扱い。俺は歴史!?(笑)
午後には人も集まってきた。
午後には人も集まってきた。

そして、歩いて思ったのは、やはりパレードは良い。あんなに大勢の人達が、楽しく、にこやかに、周りと和して、誇らしげにしている空間を、俺は他に知らない。あちこちに見られる6色レインボー、道端から声援を送る人、通り沿いの店から手を振り続けるおばあちゃん、歩道橋からかかる声。ああいうものを感じるたび、ぐっとくる。たまに、こんな人々が数千人も歩くさまを沿道から見ると全体が見渡せて楽しいだろうな、と思う。でも、きっと、見ているよりは歩く方が、ずっと楽しい。今回は問題含みぶくみで、実行されるまでは死にかけだとまで思えたような有様だったとしても、またこれが新たなスタートになればいいのだと思う。

歩く人達。
歩く人達。

会場では、いろんな知り合いもいた。何故か、友人と呼べる人々は、一般に歩く人や会場を訪れた人よりも、ブースにいたり、せっせとフロートの準備をしていたりする人に多かった。一方で、ちょっと微妙な関係にある人や、今では縁が切れたり疎遠になったが顔は見知っている人なども、こういう場所には多く見かける。(注:それだけ多くの人と問題を起こしているという意味ではない 笑 人間長く生活していれば人とはいろんな関係性が生じてき、大同小異で人が集まれば、そんな光景にもなろうというものだ)しかし、そんな人も含めて世の中に生きていて、それぞれのヒストリーを重ねており、生を維持していることを知ることができるのが、パレードの場。逝った人、今闘う人、生きてゆく人の様を思い、また、来ない人、無視する人、未だクローゼットな人、だんまりを決め込む人のことも同時にあれこれ思いながら、夏の一日は終わった。<>