浮気の後悔(ただし、潜在意識下の)


夢から目覚めて、「ああ、夢でよかった」ということは時々あるかもしれないが、夢を見てしまって後悔したというのはあまりない。しかし、ゆうべはそんな夢を見た。

2010年1月17日夜の夢日記:

会社の近くで飲みながら誰か(友人?)と話している。遅くなって、そろそろ帰らなければと時計を見ると、11時半のはずが、0時半を回っている。もう家に電車で帰るには間に合わない。気づくと、会社の近くにある公園にいて、園内の東屋にいるが、東屋は深夜2時に閉じることになっている。2時を回って、園内の管理人が東屋を施錠しに来る。見ると管理人は、最初に勤めた会社の経理に所属していた人だ。

東屋は閉められてしまって、もう帰るには遅くなりすぎ、翌日も仕事があるので、近くのホテルに泊まろうということになる。そこで、ホテル行きのバスに乗る。バスが動き始め、後ろの席を見ると、昔付き合っていた人(ここでは仮にKとする)が座っている。が、夢の中で俺はKは昔付き合っていた人とは思っておらず、今も付き合っていると思っている。どうやらホテルでは同室することになっているらしい。となると、Kと一緒に寝ることになるのだな、と予感し、夢ではKは現在俺と付き合っていることになっているにもかかわらず、これは浮気だなと思い、俺は家で待っているじょにおのことを思う。(その辺が夢ならではの矛盾だ)何事かKに話しかけ、やおら皿を取り出して、魚のスープをよそい、Kに与える。寒い夜なので、温かいスープは体を温めるはずだから、と、Kをいとおしく思いながら。

そこでふいに目が覚めた。まだ未明だった。そして、目が覚めた次の瞬間に、Kは、過去の人だと認識した。横にはじょにおが安らかに寝息を立てて眠っていて、俺が目覚めた気配を感じたじょにおは、こちらを向き、身を寄せてきた。その体は温かかった。その時に、何という夢を見てしまったのだろうと思った。現実世界では、俺はKには未練など残しておらず、ただ、寝る前に、「今年は年賀メールも送らなかったし、向こうからも来なかったなあ」などと、他の感情の介入なく、その事実だけをちらりと思い浮かべただけだったのに、そんな内容の夢を見てしまうとは。

ちなみに夢占い事典によると、バスは「比較的よく現れるシンボルで、家庭や職場、学校など団体生活や交友関係で起こる比較的近未来の出来事や行事を暗示していることがあ」るらしい。また、魚料理については、「魚を食べるのは、喜ばしいことを暗示している場合があります。何かを得ること、そして恋愛の成功も。」とあった。
スープは、「空腹などの欲求が満たされること。のんびり過ごす日々。平穏。平凡。平坦。簡単。略式。◆美味しそうなスープ類…のんびりと満たされた日々。」を示すそうだ。

夢はシンボルだけで解釈せず、全体の印象やシチュエーションも考慮して判断することが必要だとか。とすると、都合よく解釈すれば、バスに乗って目的地に行く中でスープを「飲ませる」ということは、Kに俺自身の幸せのおすそ分けをし、幸せになってほしいと願っている、と思えなくもないが、しかしそれから一緒に寝ることを、じょにおがいるにもかかわらず予兆しているのだから、やはり小狡い内容なのだと思う。そして、夢を見た後悔と同時に、夢の行動でじょにおを裏切る行動を予兆し容認した自分にショックを受けた。

先週、映画の『アバター』を見てきた。他の体と神経を同期させて別世界で行動するうちに、主人公が「どちらの世界が重要か分からなくなってくる」といった趣旨のことをビデオログに記録する場面があった。映画のレビューはそのうちこのサイトのレビューコーナーに書くとして、夢が現実世界で後悔の念を生じさせると、とても奇妙な気分だ。自分がやったことではないのに自分のこととして悔いる、というか。というと、『アバター』よりは『マトリックス』に似ているか。

* * *

ところで、話題は突然軽くなり。『アバター』を見ていて一般的に通じる感想云々以外に、気になってしょうがなかったことが1点。映画のヒロイン役のナイティリ(異星人)が、drag queenのエスムラルダに似ていて…。

エスムラルダ(左)とナイティリ(右)
エスムラルダ(左)とナイティリ(右)

(エスム様、写真お借りしました)

じょにおはdrag queenが好きで、イベントになると一緒に写真を撮っては喜んでいる。去年の夏、大阪であった『ウィッグストック・ジャパン2009』でも、エスムラルダと写真を撮ってご満悦だったので、隣で観ていたじょにおに上映中これを言いたくてしょうがなかったが、多分映画のファンタジーに浸りきれなくなると思い、黙っておいた。しかし、上映後やっぱり言ったところ、「あああああ…」と切なげな声を発していた。なお、その「あああああ…」の真意は不明。