身辺の変化 一つ歳を取り、名前と戸籍を変える


即物的なことが多くなりがちなこのブログだが、たまには違うことも書いておく。書くとなると、長文になった。

1つ歳を取る

先月、56歳の誕生日を迎えた。当日パートナーは出張で不在。いつも出張先では早めに寝るのに、当日は頑張って起きていて0時を迎えたちょうどに電話でおめでとうと言ってくれ、帰ってくる時刻がまだデパートの開いている時間に間に合ったので、待ち合わせてケーキを買ってくれた。毎年祝い続けてくれることに感謝し、毎年同じこの人に祝ってもらえることの幸福を感じる。ちなみに祝いの食事はこちらに

さて、年齢についての自覚がないまま50代後半を折り返して、会社勤めならもう少しで定年が見えてくる時点に至ったことに愕然とする。といっても「アラ還」と呼ばれることは頑として拒否しているが。

少し前、X(ツイッター)で、人は歳を取っても心は10代のままなのだと言うのを見かけた。俺の場合、さすがに10代や大学時代と同じとまでは思わないにしろ、「中の人」は30代のメンタリティーとさほど違わず、肉体だけが時間に乗って旅してきてしまった気分になることがある。

同年代より若く見えるのは、長年のワークアウトの習慣が今も続いているからか。たまにジムで、かつてパーソナルトレーニングをやってもらい、ジムクラスのポスターも手がけたことのある元ボディービルダーの先生と出くわして、「JOE君変わらないねえ、オバケみたい」と言われるのだが、白髪は混じるようになったし、実際30代の人と比べると確実に世代差は感じる風体にはなった。

幸い、発症し再発もした中咽頭癌については、おさまっており、放射線科の医師の言うところの「3年を過ぎるとかなり安心」との言葉を目標に、再発の治療完了から丸3年を迎える来年3月を一つの区切りと見据えて生活している。といっても、特別なことをしている訳ではなく、運動を欠かさず深酒を控えといった程度で、何ら日常に変化はないが。ただし、放射線治療の影響で甲状腺機能低下症になり、現在1日1度午前中に75μgの甲状腺ホルモン剤を服用するのは必須だ。

会社員生活の人では50代後半になると、社会的に成し遂げることはピークはどこ辺りに来そうか、またはどこ辺りだったかを見据え、あとをどう過ごすかという考え方に転換していくものだと思う。ある程度のポジションにいれば、あとをどう平穏無事に乗り切るかとか。あるいは、そううまく行かずにあがいていたとしたら、諦観するか。

我が身にしてみればどうかというと、形式的には会社勤めなのだが、パートナーが経営陣である会社で、ある長として働いているせいか、ここらで収束に向けて荷を下ろしていくという感じがしない。このままの生活がまだまだ続いていって、むしろやることはより広範・高度なことになっていくのではという気がする。幸い、パートナーの会社は右肩上がりの成長で、人員も増えてきていて、おかげで俺のすることも多くある。

そんな状況にあって、しかし客観的に見た年齢という数字や(『年齢なんてただの数字』と嘯くことはできても、その数字を基に社会から判断されることはある)、幸いにして緩やかでもしかし確実に肉体的に下降線を辿っていくこと、つまり社会的存在・生命力・精神的成長の三面を併せ考えると、多少の焦燥感は生じざるを得ない。

独り身であれば、成すも成さざるも自己責任(注:本来の意味での)ということで帰結するだろうが、歳の離れたパートナーがいると、ここは少々状況が違う。

年代フェーズでいうと、俺に関しては上記のような状態だが、これに比して、14歳年下のパートナーは、現在42歳。社会的に見ると自身の会社はますます成長し、新事業形態も目論んで日々邁進している。接する外的人間も多種多様。そして精神的には、もともと成熟した考え方を志向してきたのが、年月と共に年齢に相応しいものになってきた(ここばかりは年齢差でもって、俺からすると、パートナーは『まだ年若いな』という言動が昔はあったのが、確実に学びが身についてそれなりのものになってきたと見ている)。肉体的に見ると、俺と同じくワークアウトは習慣づいているものの、やはり頑張りが目に見えて形になる年齢だ。

要するに、三方上昇していく現況のパートナーから見て、ここから何某か減衰を避け得ない俺が、パートナーにとって見合う相手であり続けるか、という問題が生じる。

無論、こうしてファクター分けして考えた側面以外にも、もっと人間は多面的で、知的であるとか、人間的に高潔であるとか、思想の健全とか、こればかりは年月を重ねていくしかないお互いへの信頼であるとか、様々な方面から見てパートナーシップは築かれていくもの。なので、案ずること勿れとも思うが、下降と上昇のピークの時系列的ずれがこれから二人に何をもたらすかは、意識せざるを得ない。

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