急に決めて那覇に土日で行ってきた。見舞いが目的なので抑制的な気分で出発。JALで行ったがファーストクラスの設定はなくクラスJの設定のみ、満席でクラスJへのアップグレードもかなわず普通席で2時間。隣は推定不倫旅行のオッサン、後ろはコツンコツンしょっちゅう俺の席に当たる男児1匹と出発時号泣女児。難行苦行の2時間でますますブルーになりながら那覇へ到着。
しかし那覇に着くと透明感のある空気にほっとする。モノレールで市内待ち合わせのおもろまち駅へ。見舞いの目的は二人だったが、交通事故に遭った友人ラスコォ(仮名 笑)には会えるが、血栓で倒れたもう一人は病院でほぼ軟禁状態、面会も指定面会状態で会うこと能わず。よって、この初日の昼間のラスコォの見舞いが唯一の予定となった。見舞いに行ったにも関わらず、ラスコォは動けるというので本人におもろまち駅まで迎えに来てもらったのだ。恐縮。
駅で降りると、久しぶりの笑顔が待っていた。服の上から見る限りは元気そうに見えるのだが、鎖骨骨折とかで、やはり不便そう。そこから歩いて沖縄そばの店に行き、昼飯でも食べることにした。
ご飯を食べたら少しお茶をして、別れた。人の顔を見るのは大事なことだ。ラスコォは以前東京に住んでいたのだが、東京にいた時よりやはりいい表情をしている。いや、東京にいた時から人間味のある、意志的ないい顔つきの人ではあったのだが、そこに幸せ感が加わった感じがする。事故には遭ったけれども、そうした意味では元気で、安心した。
2時間超そうして過ごして、少し買い物をしてからホテルに向かった。ホテルにチェックイン後は、朝早かったので昼寝。起きたら、見舞い予定だったもう一人からメールが入っていた。回復基調ではあるようで、少し安心した。返事をして、少し地図をチェックしてから、街へ出ることにした。
この土日の那覇は、暑いくらいでTシャツ短パンが最適。しかし、盛夏ほどではなく、風も適度にあって、歩くにはちょうどいい気候。お土産屋や食べ物屋がずらっと並ぶ通りを散策。しかし一人なので何となく心もとない。見舞いに来たのであって観光で来たのではないという気分がそうさせるのかもしれない。しかし、もうミッションは果たしたのだから、と、自分で自分を納得させて、夕方の通りを東から西へと歩いた。
見知らぬ土地でこうしてすごしていることをツイッターでつぶやいたところ、食べ物屋を親切に紹介してくれる沖縄の友達がいて、大変助かった。そのガイドを頼りに、郷土料理の店「ゆうなんぎい」へ。一人だから定食を食べて、ついでに食前酒くらいは飲んで。でも、ちゃんとした料理で、食べて幸せ感はあった。
食事を終えて、一旦ホテルに戻る。その時点でまだ午後8時前、まだ早い。どうしようかと調べてみると、首里城はライトアップされていると知り、時間があるので見に行った。
夜間閉門されている城の周りを散策し、ちょうど月も出ていて、壮麗な雰囲気の城を見、城下の那覇の風景を見てまたホテルへ戻る。仕事で東京にいるじょにおとはメールで連絡していて、暇だと言ったところ、夜はここへ行け、と某温泉を指示される。行くのも大義なきがしたが、あまりにも暇なので結局外出。ホテルからは徒歩圏。平和に風呂に入ってき、ホテルに戻って就寝。
日曜の朝。9時と遅めに起きてホテルで朝食を取って、さてどうしよう、時間を一日つぶすのも大変だと思っていたら、ラスコォから電話。俺を気遣ってくれたのだろう、昼過ぎまでは時間が取れるからご飯でもということになり、そうすることにした。そうなると見舞い相手のはずなのに、もう観光気分だ。げんきんなもので、途端に気分が軽くなる。ともあれ、昼までは時間が多少あるので、公設市場へ行ってみた。
公設市場はまるで異国。見慣れない魚に驚き、キューキュー鳴く巨大な伊勢海老におののきながら見て回る。帰りの便は夜8時過ぎ、それまでお土産品を持ち歩くのも何なので、見て回るだけにした。
市場を出てからは、 国際通りのアイスクリームショップでアイスクリームを買い食いし、そして次はスタバに行ってラスコォを待つ。
そしてラスコォの案内でまたしても沖縄そば屋へ。連日だが、沖縄そばは旨いし、種類を違えて食べればいいだけのこと。そしててびちそばを食す。
その後はラスコォは用事があるとのことで、首里城まで送ってもらい、別れた。次にまたいつ会えるかどうか分からないし、日頃メールで連絡をマメにしているような間柄ではないけれども、ラスコォは確実に俺の友達で、そしていい笑顔で去って行った。元気でな。骨早くくっつけ!(笑)
さて、その後はまた首里城へ。今度は中へ入ってみた。
するとちょうど古典舞踊を披露するイベントの開演に行き当たったので、時間もあることだし観ることにした。なんとも優雅だったり、動きにメリハリのある踊りがあったり、明るい男女の踊りがあったりで、これは観てよかった。数十秒ずつだが、簡易に動画を撮ったので、雰囲気だけでも。↓
そして首里城内へ。琉球王国はやはり日本とは違う異国だったのだなあとあらためて感じる。
室内はというと、当時の室内装飾品はもうないから簡素に見えるが、王族の使用品の展示には目にも彩な螺鈿細工あり、沈金の漆器あり、絹布の日傘ありと、当時の王族の生活は優雅できらびやかであったことが知れる。そしてそれが南国の気候にあるところにまた情緒を感じる。
首里城にいる時に、面会能わなかった友人から、またメールをもらった。かえって気を遣わせてしまったようだ。それでもメールの文面から察するに、気持ちは元気なようなので安心した。気持ちのやさしい人なので、ひょっとして無理しながら元気を装っていたのかもしれないが、パートナーもいることだし、順調に回復しているところだとここは言葉を信じて。
城をひと通り見終えて、また公設市場に戻り、今度は土産物を買う。そして夕方、ちょうど那覇に来るという宮古島在住の友人と落ち合ってお茶をする。前日、何かと有益な店の情報をくれていたのも彼。気楽なお茶だけのつもりなのに、レアな古酒までお土産にいただいてしまって恐縮しつつ。
歓談しつつのお茶のあと、焼き物の店など覗き、辞去して空港へ。空港では時間を潰すのが何だったが、予定通りに飛行機に乗り、帰京。家に帰ると0時近かった。仕事で疲れていたじょにおは既に就寝していた。しかし結局俺がベッドに入る時に起こしてしまって、少し話をしてから眠りについた。
◇ ◇ ◇
見舞いに行くというのはもちろん相手を気遣うことであって、そして可能であれば病人に元気を与えることであるはずだ。なのに、結局元気をもらったのは自分の方だった。そして、見舞いの相手だけでなく、急に訪れた俺に何かと教えてくれて、お茶をしてくれたりしてくれる人がいて、そこからも余計に力をもらってきた。
沖縄という場所は、友人が相次いで移住していったり、旅行でしょっちゅう訪れる人がいたりして、心のどこかで気になりつつも今まで訪れたことがなかった。しかし、わずか2日あまりの滞在だったが、友人の温かい心遣いに触れて、住む人と土地とが影響しあっていることを感じた。今回初めて訪れてみて、沖縄にはどこか、人の生活の本質にとって大事な物がその地に備わっているのではないかという気がした。旅行目的でなかったのがかえって幸いしたのかもしれない。自分にとって得る物の多い2日間だった。それこそ「情けは人のためならず」か。清々しい気分は那覇の青空のごとく。