音楽の思い出 ”Back To Life” by Soul II Soulと芝浦ゴールド


昔、港区の海岸3丁目に芝浦ゴールドというクラブがあった。そもそも、クラブというものの日本のはしり的な存在だったのかもしれない。

ゴールドより少し前、新宿三丁目にある花園神社の隣のビル地下にミロスガレージというクラブで「ゲイナイト」なるものが土曜の夜に開かれていた。それまで、音楽のかかっている所でゲイが集まる所はバーの後ろの方がせいぜい、他はいわゆるディスコで、ディスコでは女の子がどうの、VIPルームがどうの、ドレスコードがどうのという辟易するようなダサい状況な中、フリーな恰好で音が楽しめてクリエイティブで、しかもゲイだけが集まれる場所としてのクラブは、魅力的だった。音楽でいうと、ちょうどポップスやディスコ、テクノといったところからハウスミュージックが分科していってスタイルが確立されてくる時期で、よりダンサブルで、しかも調性のないフレーズのサンプリングサウンドが渦巻いていて、世の中はバブルがはじけるところだったけれど、ダンス音楽は次々とまだ新しい花を夜に怪しく咲かせていた。

そんな中、ある夜、新しい「クラブ」がオープンするというので誘いを受けた。場所は新宿でなく港区、倉庫街の一角で、何といっても規模が桁違いだというのだ。当時付き合いのあった友達の車に4、5人で乗って出かけ、倉庫街の裏手に車を停めて向かった。

そこには、コンクリート打ちっぱなしのビルが、夜に静かな辺りと違う賑わいの中、異彩を放って建っていた。入口には入場待ちの人間が群れていて、何人かピックアップされては入っていく。それはニューヨークのStudio 54のスタイルと同じで、パーティーに合うスタイリッシュな恰好の、あるいはグッドルッキングな人だけを選んでは優先的に入場させるスタイルだった。期待に胸をふくらませて我々一行はその入口の群れの後ろに立ち、果たしてピックアップには顔見知りのクラブスタッフがいて、笑顔一発、即入場。そうして入る人達の優越感と、入れない人達のやきもきする気持ちとの渦巻く様も、ひとつのエネルギーだったのかもしれない。(入れない側だったらきっと苦い思い出としてしか残らなかったかもしれないし、クラブを嫌いになったかもしれないが、その辺は幸運か)

中の規模の大きさには圧倒された。それまでせいぜい学校の1教室分くらいの地下スペースで踊っていたのが、数階建てのビルが丸ごとクラブで、ロッカーだけでそれより広い。吹き抜けもあって、ダンスフロアーにある巨大なスピーカーから打ち出されるビートはパンツの裾を揺らす。そして、それまで東京のどこにいたのだろうと思うようなクレイジーな恰好の人達が、クレイジーに踊り、クレイジーに遊んでいた。そしてそこには、完璧な肉体の、人をうっとりさせながら充血させるような男たちが立っていて、肉体の林を作っていた。その圧倒的なエネルギーに身を任せ、かつ自分もまたそのグルーブを生み出すジェネレーターとなって、夜は瞬く間に過ぎていき、くらくらしながら朝ぼらけの外に出ている頃には、すっかり虜になって次回を楽しみにしていたものだ。

ゲイナイトは確か月1回開催だったと思うが、今でも付き合いのあるとある友人に誘われて、ゲイナイトとは違う日(というか夜)に行ってみたこともある。その時のイベントはフェティッシュな装いの人で溢れていて、上階にあるサロンでは太ももまでの編み上げブーツに革の鞭の女性がいたり、全頭マスクの男がいたりして、それまで見たことのないそれらはとてもエキセントリックだった。ゴールドはそんな空間として、その後数年、通いつめることになる。

ところで、そのゴールドのことを何故今こうして書く気になったかというと、ゴールドでの思い出として強烈に脳裏に焼き付いた曲があって、その曲を作った人が、今来日しているからだ。

その曲は、”Back To Life”。Soul II Soulの手になるナンバーだ。

"Back To Life"が収録されたアルバム、"Keep On Movin'"のジャケット。
"Back To Life"が収録されたアルバム、"Keep On Movin'"のジャケット。

“Back To Life”は、ハウスではない。(ハウスリミックスは存在するが)オリジナルは重いビートの遅い曲で、そのスタイルは当時日本ではグラウンド・ビートと呼ばれた。一晩中乱痴気騒ぎをやらかして、まだまだ遊び足りないような、ぼうっとするような朝方に、それまでノンストップで繋がれてきたハウスミュージックが一旦止んで、重たいバスドラのシンコペーションが鳴り響く。そして、

“Back to life,
Back to reality

という歌詞が流れてくる。それによって、それまでの悦楽に満ちた夜の時間は曙と共に消える幻の狂宴であることを知り、照明が極端に落とされた中、外の現実世界へ戻るための儀式として、繰り返されるその歌詞を呪文のように歌いながら、〆の踊りを踊るのだ。

もちろんいつも”Back To Life”が最後に流れた訳ではないが、”Back To Life”はクラブでかかるべきハウスナンバーを押しのけて、明け方突然流れることがあった。そして、現実に突き落とされてゆく時でさえ美的なその瞬間が好きだった。あれほど空間と時間の構成が芸術の域に達していた体験はない。クラブカルチャーは黎明期と絶頂期がほぼ同じで、先っぽだけが眩しく輝いていただけにすぎないのに、それがあまりにも眩しかったので、それ以降は彗星のように尾を引く残像を追いかけているだけなのかもしれない。

そういえばと思って昔のフライヤーの束をひっくり返して見たら、ゴールドの招待状が送られてきた封筒があった。
そういえばと思って昔のフライヤーの束をひっくり返して見たら、ゴールドの招待状が送られてきた封筒があった。

あの時空を知らず、今あるクラブらしきものがクラブだと思っている若い子供達を、かわいそうに思う。懐古趣味や昔がいいと単純に言うのではなくて、今はもう爆発的な創造するエネルギーのうねりが生じようのない状態に若さを生きるのは辛いだろうなと思うからだ。

追記:このブログに移行して、これがちょうど200本目のブログだ。結構書いたものだなと思う。