自分らしく生きようとしない人達の選択


いつ辞めようかと思っているmixiだが、友人の近況を覗くほか、コミュニティーの情報はちらちら見ている。そこで久しぶりに嫌悪を感じた書き込みがあった。「友情結婚」の相手探しの合コンイベント案内だ。

友情結婚とは、ゲイとレズビアンとがお互い「訳知り」で結婚するというもので、男女間で結婚をしなければならない事情を持った当事者同士が世間体を繕うための行為だ。そして、その友情結婚とやらをするための相手探しの合コン案内がクラブイベントのコミュニティーに書かれていた。そのクラブで開催されるわけでもなく、まずそのお門違いがムカついたのだが、内容趣旨がまったくもってゲイやレズビアンのライフスタイルを後退させ、実体を隠蔽するもので、ぞっとする。

ああいう行為は、当事者のご都合主義であるばかりでなく、社会的にも個人的にも二重生活をしてその人間が何たる者であるかを周りの人間に誤認させる背信行為で、自分自身に忠実であろうとし、よりよく生きようとする他のゲイやレズビアンの足を引っ張り、ヘイトクライムをはたらく者に犯罪の言い訳を与え、偏見社会を温存させる。人間のあり方として卑怯で、不誠実だ。

同性愛を理由に公開絞首刑を科されるイランの青年達。
同性愛を理由に公開絞首刑を科されるイランの青年達。

自分がどんな人間たるかの自律を放擲して、ライフスタイルを偽装するなどというのは、恥もいいところだ。そんな行為をするくらいなら、のらりくらりかわして独り身でいる単純なクローゼットの方がまだいい。友情結婚なんぞを選択しようという者は、いかに自分が「やむを得ず」結婚しなければならないと外部要因のせいにしてそれを正当化しようとも、結局のところ、内なるホモフォビアという強迫観念に支配されているだけだ。結局は自分自身のせいなのにそれを他のせいにしようとする、その卑小さ、まったくもって見下げたものだ。

同性婚の制定される国も増えてきた中、彼ら彼女らのあまりにも後ろ向きな逆行選択を考えると、この国でゲイの事情が社会的に向上してゆこうとするのは、いっそう遠い道のりに感じる。時々、「女の敵は女」などいうのを聞くが、あれと同じで、こうした卑怯者達がいると、背後から撃たれるというか、ウィルスに侵入された気分になる。それをするなら他人がそれを止めるすべはないが、自ら虚像を作出してそこにいることの居心地の悪さ・自分に嘘をついて生きていくことの気持ち悪さをせいぜい味わうがよい。少なくとも自分自身であろうとする他のゲイやレズビアンは、彼ら彼女らに足を引っ張られようとも、歩みを止められることはなく、先へ行く。