日々の随想


中村元を通じて仏典に触れる

今、中村元の『原始仏典』という本を読んでいる。学術的な小難しい本ではなく、ブッダが悟りを開いてまもなくの最初の仏典の内容はどんなものだったのかを、やさしく説いた本だ。

『原始仏典』 中村 元(著) ちくま文芸文庫
『原始仏典』 中村 元(著) ちくま文芸文庫

非常に分かりやすくて、示唆に富むことが多く、知の興奮があると同時に、神社仏閣に行った時に感じるような、心の静謐を覚える。ところで、まだ読み始めて半分ほどなのだが、その本の中に示されていてさっそく膝を打ったのが、人間を誘惑する悪魔を、攻め寄せる軍に例えた逸話の話。より正確に言うと、その軍には9つあって、そのうちの一つに嫌悪というものがあるというところに、ハッとさせられた。嫌悪というのも、人間が心囚われることの一つというのが、仏典にあるとは。自分の中で煩悩はいろいろあるけれど、(笑)日々一番ストレスを生じさせることといえば、この嫌悪の感情と思う。心平らかなることというのはシンプルでありながら究極の目的で、それを妨げるものとしてこれを御することは、一つのキーではないか。本はこのことだけにフォーカスするものではもちろんないのだが、そうした気づきを与えてくれることに興味を持ちつつ、読み進めていきたい。 →7/21レビュー掲載。こちらから

プライド

先月、触れようと思いながら時期を逸してしまった。プライドというと、一般的には誇りという意味で、ウェブ検索すると格闘技やらなにやら出てくるが、英語でprideというと、一般的な誇りの意味の次には、LGBTの権利関係が特徴的に想起される。

Google(英語)でprideを検索した結果。ラベンダー色(笑)で示したところがLGBT関係のコンテンツ。
Google(英語)でprideを検索した結果。ラベンダー色(笑)で示したところがLGBT関係のコンテンツ。

一般にプライド月間といえば、ゲイの権利獲得闘争史から言って、ニューヨークでいわゆる「ストーンウォール騒動」があった6月。例年世界各地でゲイパレードがあるが、今年はニューヨーク州で念願の同性婚が認められたこともあって、一層盛大だったようだ。非常に喜ばしく思うと同時に、そこまで権利獲得を目指して動き、実現させたことに経緯を評したいと思う。

ゲイパレードは世界各地でも盛んになってきており、ロシアや東欧、インドやトルコなど、文化的・宗教的・政治的に難しいところでも開催され(パレードというよりデモの色彩が濃いところもあって、逮捕騒動が起きたり、反対派との抗争があったりして、まさに権利獲得闘争の様相の所も少なくない)、確実にLGBTは認知度をあげつつあると思う。容認度はまた別の問題だが。ブラジルサンパウロのゲイパレードでは、今年集まったのは300万人とも400万人ともいわれる。これに比べると日本、特に東京の状況はお寒い限りで、言うのもうんざりするのだが、それでも希望は捨てず、毎年連綿と行われているレインボーマーチ札幌に、今年は久しぶりに参加することにした。この話はまたいずれ。

うっとうしい性格

私生活ではあまり出くわさないのだが、(過去にないこともなかったが今は思い当たらない)仕事だと自分で選んだ構成メンバーでないところに身を置くので、どうしても時々ぶち当たる。一口に「うっとうしい性格」と言っても、曖昧模糊としているが、行動パターンや言動で類型化すると、こんな人々だ。

  • 他人の領分にずけずけ入り込んでくる余計なお世話タイプ
    →自分の仕事に専心していればいいのに、余計な口出しをする。暇なのか? そして大抵ピント外れ、大概わがまま。
  • 頭の中が混乱しているのを他人にぶつけてくる思考迷子タイプ
    →話しながら考えるタイプ。何かを訴えたいのだろうと思って辛抱して聞いてみると、結局その人の思考整理に付き合わされるだけだったりする。
  • 知って何になる?根掘り葉掘りタイプ
    →気を回しているのか単なる好奇心なのか、当事者でないのに何かと聞きたがる。その人にとっては聞いたところで「知りたいことを知った」という満足だけしか得られず、話す方はいちいち概況から当事者でない人に説明するのは極めて面倒かつ不毛。
  • とりあえず文句 不平不満タイプ→何かを受け止めての第一感想がまず不平不満。あるいは、何か一言文句をつけずにはいられず、問題なく物事が完結しそうな時に人に後味の悪い思いをさせる。変化が受容できない硬直的な思考の人に多い。

こういう人は、周りにうっとうしがられて遠ざけられる→当人はほしい情報や口出ししたいところに接触することが難しくなる→さらに嗅ぎ回り首をつっこむ→余計疎ましがられる→…… の悪循環に陥っていることが多い。適度な人との距離感を保てないのは、大変困ったものだ。ところで最近は何でもかんでも「☓☓症候群」と病理的分類をする傾向があるが、こういったうっとうしいタイプの人もそのうち「実は遺伝的に…」とか、「脳の器質異常が…」とかいうことになって、名前がつけられてカテゴライズされ、いたずらに非難するのに適しないとかいうことになるのだろうか。にしても、できれば避けたい人々ではある。

とまあ書き散らしたところで今回はこれにて。