会社での身だしなみとファッション


…と題すると、「職場とは思えないようなイケイケ(死語)ファッション」とか、「派手なブランドものを」とか、そういう方向の話がほとんどだと思うが、俺の今勤めている会社はそんな方向ではない。何かというと、理系ヲタの格好が多いのだ。女性の格好に興味はないので、男性の格好に絞って見ると、こんな感じだ。

まず、ファッション云々以前に身だしなみという観点からどうも、という人が割といる。まず、ズボンの丈が妙に足りなくて、靴下が見えている人。これは前にmixiの日記か何かで書いたと思うが、どうして丈が足りなくなるのか謎だ。そしてうちはビジネスカジュアルという微妙なドレスコードが採用されているのだが、ビジネスの格好なのに、靴下が見えている人の靴下は、大抵白い。

そして、髪型。寝ぐせそのままの人がいる。社会人としてどうなんだろうか。それでもって無表情で歩いていたりすると、向こう岸にイッちゃった人のような感じに見える。サイコっぽくさえある。最近書いていないが、職場にいるウニョウニョももちろん、寝ぐせボーンである。

まあ要するに、オタリーマンがデフォルトなのである。(オタリーマンなる旬を過ぎたものが今もって類型としてぴったり当てはまるというところもミソ)

そして、その身だしなみとしてどうかというラインは脱している人でも、微妙な人がほとんど。ファッション的には見るべくもない人が多いのもさることながら、よく見るといい物を持っているのに、ちっともお洒落に見えない人が、これまた結構いる。近年、世のサラリーマンのオジサン達も格好がいつの間にかグレードアップしていて、以前やたら目についた餃子靴はいつの間にかほとんど見かけなくなっているし、鞄もあんまり恥ずかしいデザインのは見かけなくなった。コートもペラペラの寒そうなのから、起毛のものを着るようになっていたりして、物のクオリティーが社会的に底上げされてきた結果として、オジサンの格好もそれなりになってきているが、結局ファッションというのは物ではなく思想とかプレゼンテーションなのだなと、彼らを見ていると思い知る。そしてうちの会社の人達をあらためて見るに、オジサンだけでなく、まだ20代30代でも、悲しいくらい素敵じゃないなのだ。嘆かわしい。もし彼らに白いタンクトップを着せたら、それがタンクトップに見えるかランニングシャツに見えるかといえば、答えは言うまでもないだろう。

対して、会社にいると時々他の会社から訪問してきた人を見かけるのだが、広告代理店の人なんかは割とイケイケな(死語)業界の人ぽく、年中黒かったり、指輪を複数つけていてちょっとデコな感じ(笑)だったり、ちょいモテオヤジ(屍)な感じだったりしているが、俺的にはオタリーマンと、そんなギラギラしている系とどっちが嫌かというと、前者だ。何故なら、それが成功しているか失敗しているかは別として、後者には「自分をこう見せたい」というアプローチや自分を引き上げようとする努力があるのに対して、前者にはそういうものがない=思考やチャレンジを放擲している=からだ。

そういえば、アイテムが同じなのにカッコイイ・ダサいが分かれて見えることがある。特に夏場に、アイテム的にはTシャツ・短パン・サンダルと3つだけで変わらないのに、ある人はかっこ良く、ある人はとてつもなくダサい。これは、アイテムそのものが高いか安いかではなく、服を意識して着る(もちろん着る前にどう見えるか・見せたいかを意識して選ぶ行為がある)のか、とりあえず裸はマズいから着ているのかの違いだ。スタイルとして短パンを選択して脚を出しているのか、暑いから短パンで脚を出しちゃっているのかの違いとでも言おうか。

昔、法律を学んでいた頃、犯罪論に行為無価値とか結果無価値とかいう言葉が出てきて、犯罪とは害悪=マイナス概念と思われていがちなのに法律用語では一般にゼロ概念である無価値という用語をそれにあてることにびっくりしたものだ。それになぞらえていえば、白いタンクトップがランニングシャツに見える・暑いから短パンで脚を出しちゃっている彼らは、外観無価値なのである。普段あまりに見慣れているとこれに慣らされてしまいそうになるが、時々ふと気づいて見渡すと、そのひどい格好をしている彼らにまみれている状況というか、そういう考えでいいと思っている彼らのことが、妙に腹立たしいことがある。