何故俺は頑張ってしまうのか


このところ仕事が特に忙しい。ぐったりするほど働いていると、人生を無駄に使っている気がする。

で、疲れてくると当然気持ちも殺伐としてくるのだが、そこで手抜きでもすればいいのに、会議や打ち合わせで、ついはつらつとした口調で積極的に発言してしまったりする。

会社という所には、当然色んな人がいて、長年サラリーマン生活をしてきたオッサンなんかは、そこでの自分の生かし方で、「死なない程度に生きる」術を身につけた人もいる。決して目立たず、出世(下世話で嫌な言葉だ)もしなければ、クビにもならずに、期待されず、自分のエクストラのアイディアも活力も決して出さないタイプの人だ。

例えば、発言が出にくいテーマの討論会で、テーブルが膠着したとする。彼らはそんな気まずさや沈黙が怖くない。誰かがそこをブレイクして、場を引っ張ってくれるのをひたすら待ち、自分から何か言い出すとそのことをやらねばならない事態を招来するので、「そんなことにはなりたくない」と、その気まずさや沈黙という居心地の悪さを選択する。

俺にはそれができない。よほど自分をよく見せたいのか、役立つ人間だと思われたいのか、ついそこで積極性を見せてしまう。

別に、できる人間でなくてもいいではないか。あるいは、会社などという単なる飯の種にすぎないファームで、人によく思われなくてもいい。なのに、人あたりよく接し、自分のエクストラを供出する。ここで何をしているのか、何のためにそうするのか、これが何を自分にもたらすのかと思う。なのに、そうしてしまう。自分は自分という主義を貫きたいはずなのに、外面を気にしている。

何故私は頑張ってしまうのか。最近、生き方の打つ手を間違えている気がしてならない。私生活は、幸せすぎるほどに幸せなのだが。