いきなりのタイトルだが、たまにはこうした考えも記しておく。X(ツイッター)では刻々とこのことについて流れてくるが、ネガティブなタイムラインは見るのも見せるのも鬱陶しいので、自分の投稿では敢えてそうしたことを(あまり)記していない。それは、Xではあまりにもそうした類の投稿が目につくので、逃避先として始めたインスタグラムでも同様だ。が、もちろんこの国を巡る状況について考えていない訳ではない。自己サイトなら周りへの忖度なく書けるので、こうして書いておく。なお、ここでは「田舎」という言葉を実態を踏まえネガティブな意味で用いているので注意。
昨年末から話題の自民党裏金事件に始まったことではなく、ここ数年ずっと実感し数値化されているこの停滞、この凋落、この劣化は、もう回復不能なのではないか。カルト宗教による与党の買収による政治汚染、優秀な頭脳の国外流出、文化施設の困窮、経済停滞と経団連の無策、本来労働者を守るはずの連合の政治体制への摺り寄り、マスコミの体たらく、テレビ番組をはじめとするエンターテインメントの低質化、加速する少子化と超高齢化社会と、枚挙に暇がない。
あともう一つ、腐臭を放つネトウヨの跋扈について、特に衰退と劣化の象徴としてここで特に上記と別立てにして触れておく。彼らは別に思想的に一貫した保守派や国粋を推し進める急進的右翼なのではなく、ウヨと名はついているが、別の存在だ。
彼らは単に体制に迎合しておけば居心地がよく、『反日』『売国』という言葉で攻撃する対象を見つけることで、自己を本来的に確立する辛苦から目を逸らしている、いわば思想的ジャンキーなのだ。江戸時代に体制への不満から目を逸らさせるために士農工商の下に更に穢多非人を設けて、差別心によって下に目を向けさせたの同じ策に、見事に嵌められているだけ。
ジャンキーには理屈は通らない。彼らには思想的・立ち位置の矛盾について、正当な理論や事実でもってそれを指摘したところで何ら響かないし、痛手でもない。まだ旧来からの右翼の発言の方がまともに見えるほどだ。
現実的な話として、日本では今の平均的年金受給者が社会的に恩恵を受ける最後の世代だと思う。あとはこの劣化していくばかりの日本社会にあっては、彼らの子世代(つまり俺の世代)で資力のある少数派が、その資力を使い切って終わり。次の世代はもう無理だ。彼らは構造的に処方面で萎びた社会で耐え忍ぶしかないだろう。これを好転する術は見つからない。
ところで、今にして何故これを書くかというと、「ああこれだ、この乖離が思想と行動と治世を結びつかせない原因なのだな」と感じた出来事があったからだ。
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