S子叔母の思い出


盆もとうに過ぎてしまったが、亡き人をふと思い出したので書く。叔母(や伯母)は複数いるが、ここに書くのは、亡き父の妹で、父よりももっと早くに逝去した伯母のことだ。

名前をS子と言った。弁護士だった父の事務所で、一時期事務員をしていた。S子叔母は癌で、確か30代か40代初めで死んでしまったのだが、父方の親戚の中では一番印象深い人だ。というのは、父方の実家に帰省すると、決まってS子叔母が俺と、俺の3歳年下の妹の面倒を甲斐甲斐しく見てくれたからだ。

父はその世代では多く見られた子沢山の家庭の三男で、S子叔母は父の家庭の次女だった。S子叔母は背が高く、痩せていて(それは癌になる前からだ)、父の母、つまり俺の祖母から言わせると「色が黒い」とのことだったが、子供の俺からはそうは見えず、ちょっとおしゃれで、笑顔の優しい叔母だった。草刈正雄のファンで、沢田研二が好きだった。

父の実家に年末帰省すると、夜、我々小うるさい子供達は銘々に部屋を振り分けられて寝かしつけられていて、親達は居間に集まって大人の会話をしていたようだったが、俺と妹の行き先は決まってS子叔母の部屋だった。サンヨーの赤い小さなテレビがあって、居間での大人達の会話にはS子叔母は加わらず、俺と俺の妹と一緒に、そのテレビをつけて見ていた。

自分の家にいる時、俺は夜遅くのテレビはご法度。年末の帰省の時だけ、叔母の部屋で遅い時間のテレビを見ることができた。番組は覚えていないが、S子叔母がファンだという草刈正雄だのジュリーだのをそこで覚えて、そして遅めの時間に横溝正史のテレビシリーズを見たのが印象に残っているのだが、今テレビシリーズの記録をネットで調べると、2シリーズあったそれらの放送時期はいずれも4月~10月だから、ひょっとして再放送か、それともテレビシリーズではなくて映画版のテレビ放映を見ていたのかもしれない。

もう電気も消した部屋で、ブラウン管だけが明るかったイメージがあるが(それが正しい記憶なのかどうかは分からない)、テレビに見入る我々の傍らにS子叔母はいた。結局結婚せず、癌で死んだ叔母だが、ひょっとしたら結婚だの何だのという、親戚が集まると必ず話題に上るだろうことが煩わしくて、俺と妹の面倒見を名目に、自分の部屋に退避していたのかもしれない。しかし、我々にはやさしく、そうした目的はあったのかもしれないが、面倒を見てくれた気持ちに嘘はなかったはずだ。

何回か、入院したS子叔母を見舞った記憶がある。子供の記憶だから、ディテールは取り払われて、きれいに横たわっていた記憶しかない。
そして葬式。頬骨の高い顔の頬骨が、癌で痩せて一層高く見えて、しかしやさしい顔はそのままに棺に入っていたのを覚えている。

今、特別な感慨をもって思い出すきっかけもなければ、思い出したからといって新たなそれが浮かび上がってくる訳でもない。何故思い出したのだろう。それも分からない。けれど、インターネットなどという概念もなかった時代に生きて死んだS子叔母のことをこうしてブログに記すと、何となく、今は父も死に、母とも縁が切れてS子叔母の墓参りも叶わない自分が、繋がりを無為にした訳ではないのだとこれを読んでいる誰かに伝えることで、何かが救われる気がする。人は勝手だ。人のくれたやさしさも、その人の記憶も、その後のことも、こうして都合よく扱ってしまうのだから。