突き抜ける個性?


最近リミックスのデモを何曲か作っている。バリエーションを増やして、あれもできますこれもできますとアピールするために色々な曲を素材にそれぞれ異なったスタイルで増やしているのだが、そこでふと「自分の個性とは何だろう」というところに立ち返ると、これがあやふやになってくる。

人にはたびたび俺を称してユニークとか、他にない個性と言われるのだが、自分自身にしてみれば、もっと突き抜ける個性がほしい。コミュニケーションひとつにとってみても、自分の言葉で自分らしく自分のことを表現している人が身の回りには山ほどいて、自身はどうだろうかと振り返るに、ここでも器用貧乏というか、優等生ぶろうとするあまりコアの自分が侵食されているというか、「この人はこういう人」というオリジナリティーが希薄な気がするのだ。

せっかく会社員を辞め自由な生き方を選択して、もう1年以上も経つというのに、どこか「体の良い」自分を演じようとするところがあって、小さくまとまってしまっている気がする。好き嫌いで動いてしまっていい、直感の赴くままにと思っているのに、不必要な緩衝材を自分の周りに巻いて他人への人あたりをやわらかくしている結果、その緩衝材で自分が外へ拡張しようとするのを妨げているような。

生活にしても、もっと気の向くままにやれるだろうし、じょにおもそう言ってくれているが、日常の様子は、あまりにも平凡で小さな円環の中に収まってしまっている。最低限のことをするのはパートナーと愛犬がいる以上必要なことではあるに違いないが、どこか、やろうと思えばもっと破天荒になれるのに、安住しすぎている気がする。

もっと突き抜けたい。このブログのように自分固有のスペースで発する言葉も、何もトリミングしてきれいに体裁を整えて万人に分かりやすくしなくてもいい。自分にさえ分かればそれでいいではないか。なのに。

これは、体裁やマナーを重んじる育ちに起因することが大きいと思う。自分の人生を自分で律しているつもりで・そうしていてあたりまえの年齢になっていながら、縛られ管理されていたかつての時代に形成された殻の堅さがもどかしく思えることがたびたびある。

もっと、いいから、行っちまえよ、俺。