選挙から想起する日本の二極モザイク社会


今回の衆院選結果だが、民主党の惨敗は当然のこととして、それを超えて自公民安定多数に達するまでなぜ保守反動の結果となったのか。3年前、自民にノーの結果として民主党が選択されたのと同じで、民主にノーの結果、というのは、自民の安倍が選挙結果でのコメントで言っていたように第一の大きな要因だが、無力感を感じた国民が選挙に行かなかったことに対して、保守というのは保守型の思考として選挙→投票、という単純な行動を愚直に行ったという対比も、要因としてあると思う。

それから、主にテレビの影響。あのダメメディアが、何をもたらしたのか。

選挙については、選挙期間前から自民の盛り返しをクローズアップしていた。しかし、そこに報道魂とか深い思索はない。テレビによる報道は既に死んでいる。テレビ報道とは映像によるエンターテインメントにすぎない。選挙について言えば、「民主にノーだから次は自民来るよね」ということを、どのチャンネルでも無策に流れを垂れ流した結果、テレビを第一の情報ソースとする年寄りは、ただでさえ保守志向であるところにもってきてその流れとくれば、当然のようにそっちに向かう。
インターネットは自主的に情報を探す能力が必要なメディアであり、ソーシャルメディアなどを通じてうまくすれば草の根的結びつきを可能にするが、テレビはまさにマスであり、一方通行のメディアだから(デジタルテレビのインタラクティブデータなんかは単に統計を取る手段にすぎない)、メディア自体が流れしか報道しないとすれば、その第一の受け手、つまり自主的に情報を獲得するノウハウを持たない人は、流れに流されるままだ。

そして、テレビの影響といえば、バカをバカ漬けにする知の無力化作用。底の浅いニュースめいたものの一方で、娯楽の提供手段として、非常に程度が低く、情報量の薄い、片面的なことばかりを流す。そしてどのチャンネルを見ても同じようなことしかしていない。
今のテレビのひどさは、かつてないほど底流だ。愚にもつかない「タレント」のトーク、単に素材を引き伸ばして時間を稼ぐだけのための低レベルなクイズ番組、おままごととや学芸会でも吹き出しそうなレベルの低い歌(のようなもの)と踊り(のようなもの)のアイドル歌謡、「行列のできる」「人気の」グルメ、「個人の感想であり効能ではありません」と添え書きされて見え見えの演出と繰り返しが続く健康器具やサプリメント通販…。
バカの、バカにによる、バカのためのメディアが、未だメジャーな地位にあることによって、バカのさらなるバカ教化、民衆の白痴化はどんどん進んでゆく。そうした思考低下・停止を招くことも、選挙の投票率の低さ、保守反動には大きく影響しただろう。

今回の選挙結果が今後招くであろう人権の危機については、また別の機会に書くとして、そのバカの一層のバカ化や、テレビを見切った知識層の潜行化(メディアで取り扱われない結果として活動が見えにくくなり、それを割りきって自分は自分という活動になること)は、いわゆる二極分化が顕著であるように思う。

二極分化。これは、あらゆる局面で見られ、しかも低極と高極の差はますます大きくなっている。メディアに踊らされ、売りつけられるがままにナントカ48だの何だのを耳や目に心地よいと感じる人々と、自分で好みの演劇や音楽を選択する人々。ジャンクフードを来る日も来る日も食べ、味覚音痴でも何の不便も感じない人と、食の極致を求める人。低収入と富裕。マスと知的層。ヲタとリア充。

しかし、今の二極分化で分かりにくいのは、ある特定の低層は他の低層の属性とリンクしているかというと、必ずしもそうでないという点だ。
アニメやゲームにどっぷりの人が、ではその文化的成熟程度はさておき、政治のことを何も考えられないかというとそうではない。ネットでの政治議論が盛んなことを見れば、そこに関心がない層でないことは明らか。
収入の高い人でありながら舌が未熟でジャンクフードばかり食べている人もいる。ではいい食生活を送っている人が文化的程度が高いかというと、せっかくの美食をブログで絵文字満載・幼さを嗜好する文体で綴っていたりして、お世辞にも文化的成熟度は…と思う感じの人もいる。
子供を持つ夫婦は、計画なく産んでしまう底辺層と、子供にも気兼ねなく金をかけられる高収入の層に分かれる。
政治的保守志向の人間がでは高収入かというと、底辺でありながら保守どっぷりもいる。
労働貧困層がいる一方で、ほぼ不労所得か、あやしい仕事で優雅な暮らしの人もいる。
そう考えると、ゲイやレズビアンでありながら今度の選挙で自公民に入れたような連中は、分裂思考ではないのかもしれない。
(注:最後の文はもちろん皮肉である)

このように、上層と下層がすべてにおいて上層は上層、下層は下層、ではなく、上層と下層が分化しながら、各アスペクトがモザイク状に入り組んで混沌としているのが、今の世の中だ。もちろん、ほぼリンクしていると思われる低層同士・高層同士のアスペクトはあるが、昭和期のように、何かの基準でもって人をクラス分けすれば、それが他の視点でのクラス分けにも概ね繋がるようにはなっていない。その辺が、分かりにくい。

うちで、じょにおと「世の中の潮流が読めない」という話をすることがある。何かの潮流をきっかけに、他をひもといて傾向を類推することができないことが多々あるのだ。この混沌とした、いわば「二極モザイク社会」の中で、選挙に見た保守傾向が何をもたらすのか。半ば以上暗い気持ちでいるが。