仕事の禁じ手


会社の仕事で、某プロジェクトのとあるセクションの統括をしているのだが、その下でWeb制作の実作業をやってもらう外注業者がいる。そこでちょっとした問題があった。それ自体は既に解決したのだが、どういう問題だったかというと、外注業者の中でこれまたセクション別に何人かいるヘッドのうち、どうも進捗報告が遅い人がいて、締め切りがタイトな仕事で、じりじりしながら待っていた挙句、成果物に全然こちらの指示が反映されていなかった、というものだ。

仕事を外に出す→そのヘッドが実作業者に指示→実作業者が作業→ヘッドに報告→ヘッドから俺に連絡→俺がチェック・承認

という流れを経ていると、ステージごとにタイムラグが発生するので、締め切りがタイトだと非常に苦しい。そんな中、まったく指示が反映されていなかったので、仕事がどう粗いのか見てみたら、技術的に未熟で、かつ、こちらの修正指示を読み解く基本的なことができていないのだった。締切時間はどんどん差し迫ってくるので、そこに再度指示を出して待つか、それとももう自力でやってしまうかの選択で、後者を採ってしまった。出していたらおそらく間に合わなかった。

この、「自分で技能的にはできなくもないが他人に任せた仕事を、自分で引き取ってやる」というのは、仕事上での禁じ手の一つだ。どうしてそれがいけないかというと、その理由は大きく分けて3つある。
第一に、仕事がスムーズに回る一つの大原則は、権限委譲にあるからだ。部分部分を任せられた人が自分の責任と権限でそのことを仕上げ、その成果物の集積が仕事の全体となるので、もし一つ一つの領分に入っていくと、責任分担に混乱をきたす。
第二に、全体の意思決定をする人が 細目に手間と時間を取られると、その時間に舵取り不在となって仕事の方向性を見失う原因となることがあるからだ。それが一時的にせよ、時間の集積としてみると、その滞留は大きな損失となる。
そして第三に、下の人間がOJTを通じて成長する機会を奪われるので、上の人間はいつまでも細かいことにとらわれるばかりでなく、下の人間の能力が向上しないということは、成果物の質の向上が望めなくなるからだ。そして、そうした成長の機会を奪われた人に仕事を任せると、依頼のたびに不安を持つことになり、精神衛生上も良くない。

やってしまったことで、そうすることで生じる不都合は↑に挙げたとおり分かっていたが、そうすうるしか選択がなかった。が、やるべきでなかったなと、反省した。

さて、せっかくの休みの日の午前中に終わった仕事の事を考えていてもしょうがない、天気もいいし、他のことをして休日を楽しもう。