物選びの紳士道


少し前、50になったとある友人が、時計を買おうと思うと言っていた。張りこんでいい時計を持ちたいのだそうだが、曰く、「これが生涯最後の時計だと思って」と。彼は見た目も壮健で、先はまだまだ長そうなのだが、(笑)そういう入魂でもって選ぶことは、なかなか大切だなと思った。

今はいわゆるブランド品(この言葉はあまり好きではないが、便宜的に使う)を持つ人も、それが一生物だと思って持つ人はほとんどいなくて、鞄でも時計でも、耐久消費財のひとつ位にしか思われていない。でも、もともと何故それらが評判を得たかといえば、長年の、時には世代間に渡る使用にも耐えうるように良い材料を使って丁寧に作られ、不具合が起こった時にも売った店に持ち込みさえすれば修繕ができてまた使えるということにある。良い物を選ぶということは、その人の生活にずっと寄り添う相棒としての信頼ができる物を選ぶという意味な訳だ。

ピッカピカの物はどこか気恥ずかしく、ちょっと時間が経って馴染んできてからの方がよいという考えは、古くイギリスの紳士道にはあって、物の品格は作られた素性だけでなく、そうした時の変化によっても形成される。フランスでも例えば銀のカトラリーが親から子へ、子からそのまた子へと受け継がれたりするし、日本にも侘び寂びにそうした考えが見られる。時の経過という過酷なテストをクリアして、枯れてからが本物というわけだ。ところがこういう考え方は、できるだけ買わせて消費させてまた買わせて、という商業主義とは相容れない。いい物を作っている店もどんどん物欲を刺激する新しい製品を出しては買い手もそれに飛びつき、いつの間にか高級品でも何年か経ったら買い換えるもの、という方が一般的になってしまった。良い物に長く連れ添って自分に本当にフィットするまで付き合うとか、先代から受け継がれた物をその精神と共に引き継ぐ、などということに対しては、「それはご立派なことですね」と口では言っても、内心は「そんなの面倒だし、時代遅れになるし、第一貧乏臭くて」と思う人が多くなった。特に現代の日本では社会的なシステムに乗っかって平均的なレベルになれば誰でもブランド品は買えるから、ピッカピカがカッコイイことのように思われがちだ。

でも、最先端のファッションを追う人であっても、使う人の思想が物選びにも浸透していて、それがいっときのことに簡単に左右されないというのが本物のスタイルだと思う。だから、時計とか鞄とか革小物だとか、特に長く形が残る物には、ファッショナブルなものを何点か揃えて使い分けるのも手だが、「これ」というメインの物は、時間の流れとともに自分と共にあって相応しいかどうかを考えて「こいつがこれから相棒だ」という覚悟で選ぶのがよい。

昨日、じょにおと伊勢丹に買い物に行った。メンズ館の1階で財布売り場を見ていて、「しかし財布ってのはいっぱいあるねえ。競争相手がいっぱいいる商売は大変だ」などと話しつつ、前々から次に買うならこれかなと思っていたエッティンガーのブライドルレザーを用いた財布を見ていた。エッティンガーは1934年創業で比較的新しいレザーグッズのメーカーながら、「これぞイギリスの粋」といった製品を作っていて、イギリス王室ご用達だとか。財布は目の詰まった滑らかな、しかしかっちりしたブライドルレザーでできたマットな色調の外側に対して、内張りは鮮やかな色調の柔らかい革(パネルハイド)で、切り返しの鮮やかさがロンドンらしい感じでかつ抑制がきいていて品が良い。何色か展開があって、「選ぶなら何色?」とじょにおが言うので、「んー、これかな」と黒い財布を指して言っていたら、じょにおが「じゃあこれを」と店員に言って買い上げ、突然プレゼントされてしまった! 来月は俺の誕生日なのだが、じょにお曰く「ちょっと早い誕生日プレゼント。旅行に行く前にあった方がいいでしょ」とのこと。全く意図していなかったとはいえ、とんだおねだりになってしまったものだ。

丁寧に作られている。いい物だとは分かってもどこの物かは一見分からないのも、粋の一つ。
丁寧に作られている。いい物だとは分かってもどこの物かは一見分からないのも、粋の一つ。

財布はじょにおに言わせると、消耗品と考えて2年くらいしたら買い換えるつもりで持つものだとのこと。確かに財布は毎日使う物で消耗する物だが、思いがけずもらった財布が前から目をつけていた逸品で、しかもじょにおという大切な人からもらった物だから、消耗品としてよりも、これから丁寧に長く使っていこうと思う。作り手が一生懸命に作った物は、使い手もありがたく丁寧に使う。そういう精神があれば、自然と物を扱う所作も洗練されてきて、それが総じて紳士の行動となっていくものなのだ。

◇ ◇ ◇

さて、おまけ。伊勢丹に行ったついでに地下の食品売り場で嗜好品を買ってきた。こちらは純然たる消費物だから、複雑なことを考ええずに心置きなく。(笑)主に買ったのはフルーツティーと、ジャムと、チーズ。フルーツティーは、伊勢丹内に期間限定のコーナーが展開されていたウィーンの紅茶店Demmers Teehausのもの。「デンメアティーハウス」と読むのだそうだ。店舗は六本木にあるらしい買ったのはクランベリーのフレーバーで、新作なのだそうだ。普段は紅茶は飲まず圧倒的にコーヒー党のじょにおも、これは気に入った模様。

ジャムはあれこれ迷って今回は素直にフルーツの味を楽しめるものを選択。ル・コルドン・ブルーの砂糖を加えていないアプリコットのジャムと、茜屋珈琲店(長野の名店)のさくらんぼのジャム。これはさっき家で食べてみたら、どちらもおいしかったが、特に茜屋珈琲のジャムは日本のさくらんぼの味と香りが優雅な感じで特によかった。

そしてチーズも買った。グレデヴォージュというウォッシュタイプと、フルムダンベールという青カビチーズと、コンテ(POS用のラベルにはグリュイエールとあったが、店頭ではコンテとして売られていた)。チーズにもワイン同様AOC(Appellation d’Origine Contrôlée 原産地統制呼称)があって、このフルムダンベールはAOCのチーズ。……とここまで書いて、コンテとして売っていてグリュイエールのラベルの謎がわかった。コンテであっても切り売りして表皮が残っていない場合、これは中身がAOCにより名を名乗ることを許されたコンテであるかどうか不明になるので、グリュイエールと呼ばれるのだそうだ。なるほど。

フルーツティーに、ジャムに、チーズ。値段には敢えてボカシを。(笑)
フルーツティーに、ジャムに、チーズ。値段には敢えてボカシを。(笑)
一通り買い物を終わってカフェで一息。フォト:じょにお
一通り買い物を終わってカフェで一息。フォト:じょにお

チーズは昨夜ワインとともに食べてみた。食べてみると、グレデヴォージュは熟成して食べごろになったウォッシュタイプにしては中身に歯ごたえがあって、豊かでクリーミーな味わい。青カビの中ではマイルドで、前にブログに書いたスティルトンよりも塩分が少なく、食べやすい感じ。コンテはハードタイプのチーズだけあって、ミルクの風味豊か。しっかりした味わいの赤ワインによく合った。しかし、チーズはおいしいのだが、においだけだとキツい。車で買い物に行って、途中他の店にも立ち寄って車に戻ったら、ちゃんと包装されているのに車内ににおいが充満して臭いこと臭いこと。車中の会話はこんな感じ。

じょにお:「くっさー! 何これ!」
JOE:「この臭いのを食べるんだから、そんな臭い臭い言わないの!」
じょにお:「だってこれ、くっさー! おえー。ひどくない?」
JOE:「んー。題して『夏の神田川』って感じ?」
じょにお:「ドブ川じゃん……。」

チーズを買いに行く時にはジップロックなどを用意して行くのをお勧めする。