ゲイの本


会社の昼休みに、大手町から隣の丸の内オアゾの丸善へ、時々歩く。45分と短い昼休みの間に行ける所はその辺りくらいなのだが、入り口を入ってすぐの所のディスプレイに大胆に置かれているのは、4階の松丸本舗という企画コーナーの宣伝。今は、『男本、女本、間本』と題された、性に焦点を当てた企画をやっている。その宣伝コーナーのディスプレイにメインで用いられているのは、伏見憲明の『ゲイという体験』という本で、「ゲイ」という字が一際大きくデザインされている装丁が、そこに選ばれた理由の一つなのだろう。この『男本、女本、間本』、丸善のインフォメーションによると、企画趣旨は、

『世界は、男と女とその「あいだ」で出来ています。/XとYの染色体の出現は、生きもののシナリオとディスプレーを千変万化させ、/人間の物語をありとあ らゆる熱愛と失望に染め上げました。/ここにはそんな意図の2万冊が、花鳥風月に分かれて百花繚乱しています。』
そう、「間」には、深~い意味が込められているのです。「男」と「女」の「間」の駆け引きから、さらには「男と女の間を生きる」生き様・苦悩まで、そこに 生まれ来たった哲学・科学・物語の数々を、是非ご来店の上ご堪能ください。

(引用部分に太字・アンダーラインを加えた)

ということらしい。

企画のチラシ(フライヤー)。
企画のチラシ(フライヤー)。

しかし、まず気になったのは、男と女の間、いわゆる世間一般に思われているところのオカマがひとつのコアテーマになっているところで、メインディスプレイが「ゲイ」となると、「ゲイ」=「オカマ」という、未だ日本で誤解されているあの使い古された誤解の概念なのか、と、少しうんざりはした。周知のとおり、ゲイは普通に男であって、ニューハーフやテレビで時々見かける女のような所作・言葉遣いのタレントは、むしろゲイの中では少数派。知性のインスパイアを意図するこういう企画で、そもそもの設定箇所に誤解があり、しかも他の知的レベルの高い国々ではとうの昔に捨て去られた誤った概念が未だにこんな堂々と正面に鎮座ましましているのはまことに恥ずかしいことだなあ、と思い、眺めていた。(松丸本舗の「松丸本舗とは」というページには、「知とは何か」とか、「著者と読者と書店の関係に新たな風を吹き込む」などの文字が踊る)

まあそんな赤っ恥はこの際、微笑んで無視してやるとしよう。何故なら、本屋や出版業界で、ゲイがスポットライトを浴びるのは、本当に久しぶりのことだからだ。ましてやここは都心の超一等地にある、知性のリーディングスポット。そこでゲイが取り扱われているのだから、「ゲイ」=「オカマ」などという古い誤解を未だ持っているたくさんの人の目に触れる、そのことだけでも百歩譲ってよしとしようではないか。完全に異質なものを、人は受け入れにくい。

もし本屋の店頭で、「ゲイは普通に男で、女的役割があるわけでもなければ、ジェンターのベクトル上で男と女の間にあるわけでもないわけですが、そんな存在のゲイを知ってみませんか?」と言われたら、ゲイについて普段考えたことも認識しようとも思ったことがない人は戸惑い、未知に対する拒否感で入り込まないのがオチだ。それよりは、「ああ、あの、あれ」という、どこか自分の中にあるものをとっかかりとする方が入っていきやすいから、ここは、「ああ、ゲイね、つまりオカマね、あれがどうしたんだろう?」というツカミで持って引き込めば、ツカミとしてはOKな訳だ。そしてその認識の誤りは、本当の知に接した時に正されていけばいい。本屋で知ろうとする人には、そういう是正能力を期待できる可能性が大きいから。

これが知的水準の高い層をターゲットとしている本屋の企画でなく、一般向けであったら、我々は声を大にして「ゲイはオカマじゃありません」と言わねばならない。いや、オカマでゲイはいるし、ゲイでオカマはいるのだが、オカマという概念はゲイを全包含せず、ゲイという概念はオカマを全包含しない。ああ、ややこしい。普段俺は、ゲイを指す言葉としてやわらかめに言う時に「ゲイ」と言っているが、これは、「オカマ」という言葉でゲイを差別的に呼称したり揶揄したりすることを逆手にとって、自分が属していると目される側から愛情をこめて指す言葉であって、ゲイという当事者がそのことを認識しつつ使っているローカルの言葉である。そのめわざわざ、「オカマ」と言わず「ゲイ」と書いていることに留意されたい。

さて、ひとしきりゲイ=オカマについて疑問を呈した長い前フリが済んだところで、本題である。実はこのディスプレイは6月に入ったあたりからずっとあって、気にはなっていたのだが、その松丸本舗が丸善の中のどこでどう展開されているのか、ついぞ知らなかったのだ。それが、たまたま昨日は普段行かない4階に行ってみたら、エスカレーターを上がってすぐに、どどんとあるではないか。「これか!」とすぐさま入ってみた。

松丸本舗は、ストア・イン・ストアのような感じで展開されていて、他の丸善のコーナーとは違っている。書棚の作りもアールがついていて、重厚な色の木だし、配置も直線でなかったりして凝っているし、レジは松丸本舗の中に専用のところがある。ブランド展開ごとに雰囲気を違えて空間を仕切っているコム・デ・ギャルソンの青山本店のような感じだ。

本はテーマに沿ったものがそれぞれのコーナーに置かれている。横向きに平積みになっていたり、書棚の一部にはそのテーマを想起させるディスプレイ(飾り)があったりして、人のうちの本棚を覗き込んでいるような趣がある。今回は『女本・男本・間本』がテーマだが、フェティシズムについてのコーナーがあったり、サブカルチャーのような軽めの本があったり、様々に奥深く展開されていて、性の多様性が本棚に表されているような感じだ。そして、その一角に同性愛のコーナーがあるのだが、正面から同性愛を扱った社会学的な本から、ゲイの、もしくはゲイと目されている筆者の文学作品があったり、中には数字の名前のついた掲示板が大好きな人の格好の素材となっている山純の本もあったりして、バラエティー豊か。しかし、ジャンルは多岐に渡っていても、非常にコンパクトなスペースに収まっていてしまって、それは本の収集能力云々よりも、日本はゲイ文化が貧弱な国だというところから来ているような印象があった。しかし、それでも面白そうな本はあって、気づけば本を手にし、レジに向かっていた。

レジで、好感を持ったことがひとつ。それは、レジの担当者が、本当に本好きな感じの人だったこと。別に特別会話を交わしてはいないが、ほんのちょっとした(注:洒落にあらず)対応にそれがにじみ出ていた。他のフロアのレジ係は、商品を扱う手つきで本を扱うが、その人は本に愛情を持っているのだなという扱い方。それは、丁寧さの様態は似ているが、質が明らかに違う。そして、俺が松丸本舗の今回のテーマを告知するチラシを一緒に入れてくれと頼むと、大きさの異なる他の本がそれを押して曲がらないように気をつけて、紙の手提げに入れてくれた。そういう人を配しているのを見ると、松丸本舗さすが、と思う。

そしてこれが今回買ってきた本↓

計8冊の「ゲイ本」。
計8冊の「ゲイ本」。

右上から時計回りに、

  1. 『ホモセクシャルの世界史』海野 弘(著)文春文庫
  2. 『地下街の人びと』J.ケルアック(著)新潮文庫
  3. 『麻薬書簡 再現版』W.バロウズ、A.ギンズバーグ(著)河出文庫
  4. 『ソフトマシーン』W.バロウズ(著)河出文庫
  5. 『ゲイ・マネーが英国経済を支える!?』入江敦彦(著)洋泉社
  6. 『同性愛のカルチャー研究』ギルバート・ハート(著)現代書館
  7. 『ジョバンニの部屋』ジェームズ・ボールドウィン(著)白水ブックス
  8. 『コクトー詩集』コクトー(著)新潮文庫

いずれも興味をそそる。順次読んだら、レビューコーナーに掲載したい。

さて、この松丸本舗、大変興味を持って、本屋に行って高揚する気分を久しぶりに味わった。昼休みでちょっと立ち寄っただけなので、週末にでも、また足を運んでみたい。