手は目とともに、人の心の有り様、ことにその人への愛情を表す。何故こんなことを言い出したかというと、とある車のウェブサイトを見ていて、革巻きのステアリングが標準だが、オプションでウッドのステアリングも装備できることを読み、昔付き合っていた人との、とあるエピソードを思い出したからだ。

まだ、21世紀に入って間もない頃の冬のことだ。その夜、彼は車を運転しながら、俺に詫びていた。車はピニンファリーナの デザインになる優美なクーペで、ステアリングは革巻きだった。彼とは、バーで知り合い、数カ月付き合っていた。付き合っていながら、何とはなしにそれ以上は進めないなという感覚を俺は持っていて、その何とはなしの感覚が積み重なって行った結果、これ以上は付きあわない方がいいという結論に、その夜達した。彼も薄々はそのことは感じ取っていたのではないかと思う。「友人同士に戻った方がいいんじゃないか」という、要するに体裁を取り繕った別れ話を、俺は車内で切り出した。シート脇に下ろされた俺の右手は、レザーシートのダブルステッチをなぞっていた。ジャズが、低く流れていた。

別れ話を彼が受け入れた返答が何と言っていたか、覚えていないが、話はあっさりと受け入れられた。そしてその話を受けて、彼も彼の心に引っかかっていたことを俺に話し、詫びた。別れ話を切り出したのは俺の方なのに、何故彼が詫びるのか。そのことは、それまで彼から話されたことは一度もなかったばかりか、その素振りや気配をも感じ取れず、従って、俺には想像できなかったことだった。それは、手の多汗症を気にしていて、俺とあまり手を 繋がなかったという内容だった。それが申し訳なかったというのだ。

車は、明治通りを北上して俺の家を目指していた。彼は、「JOEの手をあまり握れなくてごめんね」と言いながら、センターコンソールに配されたシートヒーターのスイッチを操作した。俺は、そんな彼の心の動きが分かっていなかったことを悔やんだ。彼はレーンチェンジのために、ステアリングコラムのウィンカーレバーを指で倒しながら、
「だから僕はウッドのステアリングはダメなんだよね」と言った。汗でつるつる滑るから、ステアリングは必ず革巻きでないと困るんだ、と。
「そうだよねえ、ウッドは滑るよね。夏に炎天下に駐車すると、焼けて触れないしね」
などと、俺は、別れ話を受け入れさせたばかりか、詫びの言葉まで言わせてしまった気まずさから抜けだそうと、間抜けな話を繰り出した。 彼は、ひらりひらりと優美にレーンチェンジしながら、それに対して、
「そうなんだよね、年数経てくると割れたり反っちゃうしね」
などと、話にうまく乗って答えてみせた。

そんな話をしているうちに、彼の運転するピニンファリーナのクーペは家の前まで来てしまい、そこで俺は車を下りた。
「じゃあまたね」と、彼は軽く手を振り、(何故人は「また」がいつ来るか分からないのに、あるいは「また」がもう来ないかもしれないのに、重要な別れの場面に限って「また」と言ってしまうのだろう)いつもの人懐こそうな笑顔を見せてから、走って行った。テールランプまで優雅なデザインだな、と思いながら、俺はクーペを見送った。

俺は、車のウェブサイトでウッドステアリングのオプションを見て、彼はこのオプションは選ばないだろうな、と、不意に彼のことを思い返した。その彼とはその後、別れ話どおり友 人同士になり、車について造詣が深く趣味の極めていい彼とは、今もたまに車談義をしたりしている。

* * *

手といえば、我が家ではパートナーじょにおが、肌の弱い俺を気遣って、手が荒れないようにと、洗い物を率先してやってくれる。寒い季節には指先が冷たくなった俺の手を、温めてくれる。寝る時には必ず手を繋ぐ。暗い上に目をつぶってしまって見えない寝室で、彼の意思や愛情は、手から伝わってくる。手は、心を表し、手を繋ぐというのは、心を繋 ぐことでもあるのだ。だが、手を繋げないからといって、心が繋ぐことができないわけではない。エピソードの彼は、その後、いくつかの付き合いをして、今はシングルのようだが、きっと彼と心の繋がる相手が見つかると、俺は思っている。<>