肩こりの本当の原因(かも)


前々から肩こりがひどいのだが、原因はいろいろ考えられる。例えば

  • 仕事が99%PC
  • 文字を追うだけでなく、コード処理や画像処理もあって目を酷使
  • 従って同じ姿勢で座りっぱなし、たまに画面をのぞき込む姿勢を取る

といったことがある。姿勢には気を付けるようにしていて、運動をしている。前は仕事後にジムに通うため、重い荷物を片道2時間の通勤で持ち歩いていたが、ジムに行くのを仕事が終わって直ではなく、家から車で通うことにしたので、この条件は多少改善された。

しかし、依然として肩こり。常に痛みを感じていて、不用意に肘をつこうとすると「イタタ」となったり、寝にくかったりするほど。肉体的・物理的要因の他、実は前々から心理的要因が肩こりをひどくしているのではないかと思っていた。心にずっとのしかかるものというか、押し込めたままにしているものが、身体的に顕現しているのではないかと疑っている。そこで、最近それを改善するヒントを求めて、本を読み始めた。『毒になる母親』(スーザン・フォワード(著) 講談社プラスアルファ文庫)だ。

何ともショッキングというか扇情的なタイトルだが、これはほぼ原題どおり。原題は、”Toxic Parents”。和書には「一生苦しむ子供」とネガティブなサブタイトルがついているが、原著のサブタイトルは”Overcoming Their Hurtful Legacy and Reclaiming Your Life”(人を傷つける長年引きずってきたものを乗り越えて人生を再生する)である。著者Susan Forwardは豊富な臨床経験を持つ心理カウンセラーだ。

本を手に取ったのは、取りも直さず、そういうことにあてはまる出来事を経験しているからである。以前、mixiの日記でどろどろとしたそれを断片的に書いてみたことがあるが、目的は、同情や哀れみを買おうとかいうことではなく、(理解さえされ難いと思っている)ましてや恨みつらみを書き散らすためでもなく、自分と向き合うためだった。しかし、そんなフラクタルなことでは、問題の解消はおろか、軽減したとさえあまり思えない。もちろん、この本を読み終えたらそこで問題がきれいに解消するとも思っていない。が、他人の言葉が他人の事例とともに問題が語られている形で問題を明確に認識し、よりよい方向に自分を持っていくためのヒントとするには、よいように思ったので、読むことにした。

レビューを見たところ、この本の評価は高いようだ。いわゆる「トラウマ」解消のハウトゥ本でよく見られるのは、「相手に赦しを与えて自己のステージを高めることが解決の方策である」と謳うもので、そういう提言には、はっきり言って飽き飽きしている。その類の本は、「赦しが救いである」という宗教の教義を、本の中に盲目的に埋め込んでいるだけで、問題が人の内面に組み込まれていて他者対自分の事象ではないということを看過しており、心理的学究的に追求すべき事象であることから外れている。この種の問題は、「汝、ユルシマス」と呪文を唱えればアラ不思議、般若は天女の顔になって微笑みながら天へ上っていったのでしたメデタシメデタシ、といった軽々しいものではない。

この『毒になる親』は、その点が他の本と違っている。「許されざる行為をした者は、たとえ親であれ許さなくてもよい」とする。ここが、他のトラウマ解消南無妙法蓮華経本とは違う点だ。(注:「許すな」と言っているのではない。許すことが自分でできるのならそれでいいが、「許しなさい」と言われてそうしても本人は心の底から納得したのではなく、そのことを再びなかったことにして奥底にしまいこむだけになるのだから、それは解決方法として違う、無理して許さなくてもいいと言っているのである)

そして、自分の中に内面化してしまった問題に気づいた人を丁寧に扱う姿勢が見られる。すなわち、臨床例がたくさん出てくるのだが、それらを物事として扱うのでなく、その問題を抱えた人として取り上げているので、読む者がモルモット的気分にならずに済むのだ。

もう1点、個人的に読んでいて安心するのは、「今さらいい年をして『親が云々』などというところに原因を求めるのは人間として未成熟であり、『大人なんだから自分のことは自分で』ということから考えると情けない話ではないか?」と思う気持ちを救う点である。(このことは、このブログを読んだ人も、俺に対して抱く気持ちではないかと思う)

それに対しては、本当は親が原因なのに、取り込まれた時は子供であったので、親からの行為が無防備に取り込まれて自分が原因であるかのように思っていること(これを「内面化」という)が起こって今に至っているのであって、自分がもう大人であるからといって自責する必要はないという安心が提供される。そして、事例として、「いい大人」が、対人関係で起こしてしまったり、自傷してしまったりするケースが挙げられているので、これは年齢に関わらない問題であって、そういう年齢でも取り上げる価値があるのだと分かる。既に親が死んでいるとしても。そして、ケースを読むと分かるのは、この問題は、年齢のみならず、その人が一見何の不自由もなく自己決定できるかに見えるような有能な人で、社会的に権勢をふるうことのできる地位にあったとしても、ずっと持ち越されている可能性があるということだ。

ここに、誰も否定できない事実がある。大人であっても、誰もが誰かの子なのだ。俺も親の子供だ。そして俺は俺の問題を解決し、肩こりを解消しなければならない。肩の荷を下ろすことが必要だ。アダルトチルドレンとか、インナーチャイルドとかいうと、途端に誤解も生じやすく、またその解決方法を説くものも胡散臭いものが多いが、こうして冷静な本でガイドを頭に入れておくのはよかろう。昨日本を買って読み始めたのだが、文章自体は平易で読みやすいのに、内容が内容だけに、ぐったり疲れて、夜はジムにも行かず、何と10時半に寝てしまった。自分の中にある入り組んだものを直視するのは、大変なことだ。