要らない文字情報


必要のない文字情報が、気になってしょうがない時がある。家の中でふと見渡すと、視界に入るものに、余計な文字情報が結構あることに気づく。メーカーのロゴとかも割とうっとうしいのだけど、それより何より気になるのは、警告とか取扱い上の注意とか、製品型番が書いてあるシールが、そこここに貼られていること。例えば、風呂に入ってふと見ると、視界に入るのに、そんな鬱陶しい物があちこちにあったりする。混合水栓に「やけど注意」とか、「xxxx-yyyy」のような型番のシールとか、「100wまで」と書かれた照明カバー下のシールとか、浴室乾燥暖房装置に貼られた「フィルターのお手入れについて」とか…………。

鬱陶しい!!!!!!

そんなもの、毎回いちいち目に触れる必要がないではないか。

人間は文字情報があると、ついそれを追ってしまうものだが、その時に必要ではない情報がいちいちそこで自分に語りかけてくるのは、自分の生活をされたくない方式で規定されるようで、俺はこれを憎んでいる。それに、美しくない。そこで、うちではこれを極力なくすことにしている。剥せるシールに記載されたこれらは、剥がしているのだ。細々、あちこちにあってこれを剥がすのもまた手間ではあるのだが、毎日見ては鬱陶しいなと思うこれら、「苦痛はその大小ではなく、継続する時間である」というバロウズの言葉のごとく、薄く細かくストレスを与えつづけられるのにおさらばするには、剥がす手間を惜しんではいられないのだ。

やってみると、剥がした後はかなりすっきりすることに気づく。考えたくない時、情報を与えられたくない時に、同意なく侵入してくる文字情報がないことの、何と快適なことよ! 殊、上記で例示の風呂とか、トイレとか、そういうところではこれをやるとやらないとでは、快適さが大違いなのである。

しかし、機器が故障した時に修理を頼むには、こういう型番を伝える必要がある。そこで、うちではマニュアル・保証書類をファイルして、保管しているところに、紙を入れて、A4の紙にシールを貼付け、「給湯器」とか「ガス警報装置」とか書いて、シールはそこに保管。そうしておけば、万一の際も不便がない。

余計な文字といえば、テレビ番組のスーパーインポーズ。ニュースやバラエティ番組では、しつこく入っている。あれが嫌いでしょうがない。聴覚障害者のためには、字幕放送を入れればいいわけで、それがバカみたいにあちこち、番組によってはほとんど常時入っているのが、嫌でしょうがない。「そんなことにイチイチ字幕をつけるな!」とイライラするのだ。特にバラエティ番組はあれが嫌なのも見ないことの一因。面白がらせるために入れているにしても、センスがないなと感じるだけで、逆効果。字幕消去機能がほしい。

見たくない文字を見させないでほしい、とよく思う。ついこの前も、ガス警報器が取り替えられたら、直径10数センチのものに、3つも4つもシールがついていて、全部剥がした。これからもこの闘いは続く……。